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不安に打ち勝つ・ニレの木

ケルト暦ツリーサークルの「モミの木」の次はニレの木です。1月12日~1月24日、7月15日~7月25日生まれの人。

「寛容と正義が、この時期に生まれた人の理想です。かれらは不安に打ち勝つ力があり、勤勉で創造的、そして信頼できる人柄です。多くの作家がこの時期に生まれていますが、それは、ニレの日生まれの人の、創造的な感受性を示す証です。」『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

単にニレといえば日本ではハルニレを指し、だいたいは北海道で生育しています。樹高25~30m、春に小さな花が咲くことからハルニレと呼び、車両材、造作材、ベニヤ板、枕木などに利用されます。より身近な存在としてはアキニレがあり、盆栽として仕立てられることが多いのですが、ニレケヤキと称されることが多いようです。他のニレ科としては、アイヌの民族衣装アットゥシ織のオピウになるオヒョウ、暑い夏に木陰をつってくれるケヤキなどがあります。

ここでのニレは西洋ニレ、欧州ニレ、エルムといい、中部ヨーロッパを中心として、北ヨーロッパ、アジア、北アフリカでも生育し、家具や建築材料として利用されています。

ギリシアではニレは「死」と「悲しみ」のシンボルであり、ビンゲンのヒルデガルトは「ニレは幸福の木。他人に対する妄想や仲たがい、思い込みなどがあっても、ニレの木があると、魔物はそれを激しい怒りや、いさかいなどにふくれあがらせることができない・・・・・」と記しています。

ニレの樹皮を燃やせば空気の精霊に会える、木を焚いてお風呂につかれば怒りや悪意を取り去ってくれて幸福な気分になれる、という説もあります。

バッチのフラワーレメディーにも「エルム」があります。エルムを必要とするのは、普段は非常に有能でリーダー格の人が、責任の重圧や体調などにより、一時的に自信喪失状態となり、弱い存在になっている場合です。エルムのレメディーを服用すれば、内面からの呼びかけに従い、責任を果たす自信が生まれ、自分の才能、可能性に気づく効果があるといいます。その他、この状態に陥っている人に有効な方法は以下のような方法もあり。

時たま自分のための時間をもって息抜きする、計画をたてるときは休養の時間もとる。

「私が引き受けているのは、自分の果たせる範囲の責任だけだ」

肉体的な薬効としては、樹皮の部分が有効だそうです。植物繊維が腸内を洗浄、抗炎、喉、消化器官の鎮痛に効くといわれています。

中国は山東省の斉南に滞在されていた方が斉南あたりに伝わる昔話を収集されており、その中に「楡の木の精 譚振山故事選」という話がありました。斉南といえば、旅の途中で山東大学に宿泊させてもらったことがあります。それまで紙のようなパンをかじったり、しなびたみかんを食べ、栄養も足りずに疲れ果てている貧乏旅行でした。

その日の夕食をどうしたものかと宿舎で考えているところへ、初対面の日本人留学生が現れ、ホテルのバイキングへ連れて行ってご馳走してくれた、というありがたい経験をしました。上記の昔話は斉南あたりで飢えている人間たちをニレの木が救ったという話。偶然にも同地方で飢えていた私にご馳走してくれた人はニレの木の精だったのでしょうか?!不思議な類似性に驚きつつも、ぜひその昔話をご紹介したいと思います。全文をお読みになりたい方は、昔話の専門家である、寺内重夫さんのホームページをぜひご覧ください。

あらすじ:中国の七星山の麓の村は日照りにあい、食料に困っていた。ある日、親のいない若者、王小が空き腹をかかえて山に野草を採りにでかけたが、禿山には一本すら生えていない。困り果てているところ、偶然岩の隙間に小さな楡の木をみつけた。この荒れた山の中で強くたくましく生きている黄色い葉を見て、王小はひとつぶ涙を流す。するとどうしたことか、楡の葉は緑色に変わったのである。それからというもの、王小は毎日のように山へ通い、楡の木を慈しみ育て、やがて実がなるようになる。

そこで彼は飢えている村人に楡の実を分け与え、日照りをどうにか越すことができたのである。そして、ある日、王小のもとに美しい楡の精が現れて、助けてくれたお礼、と王小の嫁になると申し出た。嫁をとるには貧しすぎる彼に、楡の精は楡の実の形をした金貨を与えたのである。王小は村人にもその金貨を分け与え、その村は豊かに暮らした、とさ。

この中国の昔話を読むと、ケルト暦のニレの木の期間生まれの性質、すなわち、勤勉で創造的、信頼できる人柄で(村人たちにも楡の実、金貨を分け与えた)、不安に打ち勝つ力があること、バッチのフラワーレメディーのエルムの性質、一時的に自信喪失状態(日照りで)になったけれども、楡の木という友人を得たことにより立ち直っていくというストーリーが、楡の木の性質をよく表現しているように思う。

日照りによる死の恐怖と悲しみ、不安、自信喪失、苦しみ、村人を救う責任感。その状況はニレの木の登場により幸福へと変換する。ギリシアの神話、ドイツのセラピスト、ギーゼラ、イギリスのバッチ、中国の昔話・・・・、ニレの木の性質は底辺ではつながっているようです。

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獣食とマタギと不食とジビエ(2)

公の肉食禁忌は明治以前であるが、その風習は太平洋戦争後も地方では残っていた。「あの家は豚を、あの家は兎を食べている」と各家ではよく知っており、「でもうちは食べない。なぜなら、飼っているとかわいそうになるから」。魚を食べる地方の人は、東京に出てきてから肉食の習慣ができた人も少なくないという。

ここで記しておきたいのは、神道の世界が必ずしも肉がタブーではないことである。幣帛として、鳥獣を供えることがあり、鹿や猪は俎上にのる。

一方、『日本書紀』や『古事記』より以前に書かれたとされる、古史古伝『秀真伝(ほつまつたえ)』には、肉食をしたときには穢れを浄化するために大根やカブを何日間食べる必要がある、と記している。『秀真伝』は正史とみなさていないが、年代的に考えると肉食禁忌の思想は仏教伝来よりもはるか昔なのかもしれない。

霊能者や精神世界の人たちは、肉食をすると「魂が重くなる」と説明する人もいる。ベジタリアンは言うまでもなく野菜食であるが、アカシックレコード解読のアメリカ人、ゲリー・ボーネル氏は野菜でも土の中の大根やにんじんなどの根菜類は食べないという。これはある特殊な目的によるらしい。

それどころか、最近では不食が話題になっている。人によっては水とサプリメント、小食、とスタイルは異なる。昔、とあるエリート高校の文化祭で、未来をテーマにした劇を上演していた。未来人は数粒の錠剤だけで生きている、という話。演じていた男子生徒が立ちながら一錠を飲む姿が目の裏に焼きついている。時間は節約できるし、食糧問題解決にもなるだろうし・・・でも文字通り味気ないかな、と感じたことを思い出す。食はコミュニケーション、愛という考え方もあるし、人と食との関係は?もっと踏み込んで考えると、そもそも人はどんなエネルギーによって生かされているのか?深いテーマに展開していきそうである。

ここで獣食に立ち戻る。獣食というと、ジビエを思い出す。フランス料理のgibierのことで、狩猟による鳥獣肉料理を指す。鴨、雷鳥、山鳩、キジなどの鳥類と鹿、猪、兎などの獣類が素材で、狩猟の季節のメニューである。いつか、東京でも有数のフランス料理店で鹿肉のジビエが出たことがあるが、今までの鹿肉のイメージを完全に覆すものだった。ある平家部落の歴史を持つ温泉宿で出てきた鹿肉は冷凍の薄切り。食べ慣れないせいもあるし、かわいそうな気持ちもあって味はほとんど感じなかったが、そのコース料理のジビエは軟らかくコクがあった。

狩猟民族の命をつないでいた肉食が、現代ではジビエとして、料理人の経験、智慧を重ねて、高級料理に変じている。グルメという言葉に転じている。

中国料理には肉が入っているものの、その量に応じてとるべき野菜の量も決まっている。医食同源の長く続いてきた智慧が込められているのだ。一方、日本では戦後、肉の摂取量が増え、その他の食生活の変化によって、疾病の形態も変化してきている。日本人にとって、文明開化から始まった牛肉の摂取。その歴史はまだまだ浅い。

獣食とマタギと不食とジビエ。『イオマンテ』という絵本から、命、風習、食、健康、魂と肉食の関係、生命エネルギーのもとは?とテーマは展開していってキリがない。

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獣食とマタギと不食とジビエ(1)

アイヌの儀式『イオマンテ』の項で、熊を食す例を紹介した。アイヌの最後の狩人、姉崎等氏は生涯で60頭の熊を獲ったという。熊の狩人といえば北日本のマタギを連想する。

マタギという名の語源には諸説ある。シナの木の皮からつくった織物の名から、マタギが持っていた股木から、アイヌ語のマタウンバ(雪山で狩をするもの)からきているという説など。神の依り代である常磐木の杖を持っていたことから、山、樹、人との深い関係性をみることができる。イオマンテのように残された子熊を育てるという風習はないが、山の神=女神のご機嫌をとる、たとえば、美しくないオコゼを供えるなどの儀式はある。

イオマンテの中では熊の親子を共に殺さないが、それをタブー視する風習があるかららしい。マタギと同様、山の神=女神という考え方を母熊に投影させると、小熊は切り出される山の樹と同じように考えられないか。「大工さんに伝わる怖い話」とリンクしそうである。

マタギも山の神に対する儀式をして、獲物は均等に分けて食べていたという。独り占めはご法度である。この共同体の智慧が長く伝承されていた。ところで、現在も熊の肉は缶詰になっていたり、旅館のメニューになることもある。次に獣食の歴史について触れてみたい。

縄文時代は鹿、猪などの狩はしていたが、主食はよくあく抜きをしたどんぐりなどの木の実で、犬は狩猟犬として使い、発掘結果から埋葬も人間と同じように丁重であったことがわかる。弥生時代では犬の骨はバラバラになって発掘されており、犬を食べる習慣が持ち込まれたらしい。

その後、676年、天智天皇の世、肉食禁止の詔が出された。これは仏教渡来による不殺生の思想とみられる。牛、馬、犬、鶏、猿の5種で、禁止は4月から9月の農耕期に限られていた。実際に食べられていたのはその他、熊、狼、狐、狸、カワウソなどである。平安期の肉食禁止も緩やかなものだったらしい。もともとの肉食禁忌は僧侶に始まり、貴族、庶民へとその裾野は広がっていった。

時代は下って、江戸時代。江戸に獣肉をメニューに出す店が現れる。一号店として麹町の「山奥屋」(甲州屋という説もあり)といい、猪、鹿、兎を扱い、その鍋料理の味は評判になり、繁盛したという。また、「ももんじや」という店が江戸から有名であり、現在もその暖簾を守っている。

幕末期になると、豚も食べるようになる。その一方で学者らの肉食反対論と蘭学者の迷信にすぎないという主張がぶつかりあった。1867年、坂本龍馬が暗殺されたその年に、江戸に牛鍋屋が出現した。

そして、1871年(明治4年)、明治政府はフランス料理を宮中の正式料理に定め、翌年、明治天皇自らが肉を食した。「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」。牛鍋はまさに文明開化のシンボルのひとつとなった。(次回へつづく)

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倍音トンコリ(2)

トンコリの話を演奏者本人のOKIさんから聞いたあと、コンサート後半部はからだ全体で音を捉えようとした。人はよくトンコリの音は「魂をゆさぶる」というけれど、からだの細胞が小刻みにゆらされて胸椎の奥にじわっと入り込んでいくような響きだ。倍音の調べが体内のf分の1のゆらぎに共鳴するのであろうか。

『イオマンテ-めぐるいのちの贈り物-』の口述者の一人でもある安東ウメ子さんのウポポ(座り歌)も実に印象的だった。世界は継ぎ目なく続いている、という感覚にアクセスしたような気がする。トンコリのリズムも始めも終わりもなくいつまでも続く。そして、羽織られていたアットゥシ織の手の込んだ刺繍に目は釘付けになった。長い文化の中培われてきた芸術である。

後日、トンコリの響きで具合が悪くなる人もいると聞いた。霊的な波動を伝えているからだろうか。倍音のなせるワザかもしれない。トンコリはもともとはシャーマンの祭具である。トンコリの形は人の体、頭、胴、共鳴のための穴はヘソ。胴の中には魂(ラマトフ)としてタマサイの玉、メノウ、黒曜の矢じりなどが入れられ、トンコリには命が吹き込まれる。そして、奏でることにより、変性意識状態になっていくというのだ。ジャワのガムラン演奏中、口を開けて眠りこけている人がいたが、長時間繰り返しの音を聴いていると現実と夢の境目がぼやけてきてボーっとすることがある。

トンコリの弦は5弦、昔は鹿などのアキレス腱から作っていたが今はスチール弦が多い。彫刻を施されたボディーは抱きかかえるようにして、開放弦のまま指で奏でていく。ハープの強い張と違って、張はやわらかく、音は倍音で響く。伴奏としての楽器で、ギターのようにフレッドは抑えないが、曲によって調弦を変えるそうだ。調弦は5万種類という。

トンコリの材質は赤蝦夷松、イチイ、桂など。シャーマンの祭具であるとすれば、材質も依り代性の高いものを使うはずである。は『古事記』『日本書紀』でも天つ神の降臨する樹として登場する。水辺に巨樹が多く育ち、伝説、昔話でも水と係わり合いの深い樹である。この性質はシルクロードのオアシスに生息する胡楊という樹に似ている。水を溜め込む水タンクのような樹である。これらの樹については別の機会を設ける。

最近、トンコリ奏者の方とお話をする機会があった。ムックリも製作販売しており、笛はないかと伺うと、「笛は音楽というより、動物を呼ぶために使う」と教えてくださった。善神も邪神も神だけど、邪神は音の出るものが嫌いだから払うときは鳴らすんです、と。

その後、森に囲まれた広い牧場でフルート、龍笛、バンスリ、手作りの竹笛などを吹いてみた。すると、ひらひらと蝶が何匹も集まってきた。森にはいつのまにか鳥影が増えて鳴くでもなし、じっとこちらの様子を窺っているように見える。つばめは頭の上を飛び交い、ヒヨドリは一緒にさえずり始めた。なるほど、呼べたらしい。

上記のトンコリ奏者の方が、一曲爪弾いてくださった。昔から伝わる曲、ススリウカ(Willow bridge) 歌詞はないが、川の流れとその川辺に生えている柳の葉が風に吹かれてしなやかに揺れているさまをイメージできる。耳を澄ましているとその繰り返しのリズムと共に自分もさわさわと風に吹かれ、穏やかな気分になれる曲である。OKIさんのCDに入っていたので繰り返し聴いている。

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倍音トンコリ(1)

樺太アイヌに継承されてきた唯一の弦楽器、トンコリの生演奏を聴いたのは、2001年の「東京サルタヒコ祭」がおそらく初めてだと思う。それまでアイヌの音楽といえば、阿寒湖でおみやげに買ったムックリと札幌の友達に教えてもらって一生懸命覚えた「ピリカ」くらいしかなじみがなかった。

私は北海道在住ではないが、小学校の頃から文学の方面で北海道の人々と交流があった。アイヌに関して知識を持ったのは、石森延男先生の著書『コタンの口笛』がきっかけである。その内容には子供ながらいろいろ考えてしまったことを覚えている。そんな経緯からなんとなくアイヌが気になっていた。

初めて北海道を訪れた1970年代はアイヌ関係のお土産が目に付いたが、訪れるたびにその色は薄くなってきているように感じた。テレビドラマ『北の国から』の影響で富良野のイメージやスキー関連、新進の作家の作品がおしゃれに店頭を飾っている。確かに多様化はされてきているのだろう。

開拓の歴史を持つ北海道は、多方面からの移住者から成り、様々な文化が織り交ざっている。その歴史はまだ短いがゆえに、子供が道外へ出て行くなら親自身も出ていい、という考えがあるらしい。第一次産業に依存度が高い現状ではあるが、地域活性化の鍵はさらに一歩進んだ歴史・民俗も踏まえての「総合的北海道らしさ」なのではないかと最近つくづく思う。

沖縄ではリゾート地というイメージにプラスして地方色豊かな文化が広く浸透してきている。ソーキソバ、ラフテー、トウフヨウ、泡盛などの身近に受け入れやすい食文化や喜納昌吉さんの「すべての人の心に花を」や夏川りみさんの「涙そうそう」などの音楽、そう、音楽による伝達のパワーは大きいのである。

沖縄の人々と北海道の先住民アイヌを同じ土俵で比較するのはなかなか難しい問題を孕んでいるのだが、ここでは音楽の方面から記してみたい。

話はトンコリに戻る。休憩時間にCDのモノクロの歌詞カードにキュッキュッと赤いマジックでトンコリの絵を描いて下さったのは、トンコリ奏者OKIさん本人であった。「海外の方が受け入れてくれやすいし、通じるんだよね。」明るい口調のOKIさんは長いまつげをパタパタとさせながらトンコリの話をしてくれた。

後日知ったことだが、OKIさんは神奈川生まれ、アイヌの血はハーフ、東京藝術大学を卒業後、彫刻家を目指していたが、その後ニューヨークで映像撮影に係わっていた。トンコリは親戚から譲り受けたのが最初で、自己流で演奏していたところへアイヌのエカシ、葛野辰次郎氏と出会い、アイヌの哲学も継承されたという。

ロック世代の東儀秀樹さんと同様、OKIさんも現代の文化、世界の文化に触れてから自らのルーツに再び出会って、その世界をさらに広げている。どうも世の中はそのようにつながっていくらしい。他の世界を見せられてから、本来のミッションにたどり着くという、一見遠回りに見えることが肥やしになっているのだ。(倍音トンコリ(2)につづく)

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アイヌの儀式『イオマンテ』

『イオマンテーめぐるいのちの命の贈り物ー』という絵本が北海道から届いた。企画・発行は「十勝場所と環境ラボラトリー」。「21世紀に対応したライフスタイルを十勝から世界に発信することで、地球環境に貢献しよう」という目的で活動してきた団体である。寮美千子さん文、小林敏也さん画で、5年の歳月をかけ、アイヌの人々ーフチ(おばあさん)やエカシ(おじいさん)ーから直接話を聞いて作り上げた作品だという。詩情豊かでいきいきとした文章、スクラッチという手法が、よりアイヌの生活、儀式を鮮やかに映し出している絵。本棚に凛とした絵本が加わった。

アイヌには文字がない。だが、すばらしい数々の口伝の話やウポポ(座り歌)、リムセ(踊り歌)が伝承されている。この絵本ではイオマンテの儀式の文字化が実現し、私たちの手元にも届くことになったわけだ。発行元としてはアイヌの人々の自然と調和した生き方に学びたい。そして、絵本を通して子供から大人までたくさんの人々に伝えたい、そんな思いから、製作にあたったそうだ。

物語は真っ白な雪の世界が、真っ赤な鮮血で染まるところから始まる。

生まれたばかりの子熊に乳を飲ませていた母熊は、人間の放った矢によって「どう、」と倒れ命を奪われてしまう。母熊をしとめてきた人間のとうさんは、「山の神様からのいただきものだ」とたっぷりの肉とりっぱな毛皮をかついできた。その夜、コタンの家々では熊の煮込みをたらふく食べ、人々は体の心までほっかり暖まった。

熊をしとめた家の男の子には新しい友達、いや、妹ができた。あの母熊の一粒種の子熊である。かあさんは自分のおっぱいを子熊にも含ませて家族同様にそれはそれは大切に育てた。男の子と子熊は遊ぶのも寝るのもいつも一緒。かけっこ、木登り、すもう、魚とり、二人は一緒に成長していった。

子熊がだいぶ大きくなったある日、熊を送る儀式「イオマンテ」が行われることになる。送るとはカムイの国へ送ること、「死」を意味する。

儀式の用意で村はてんてこまいで心が浮き立つよう、その一方で子熊との別れを思うとつらく悲しい。男の子はその日が来るのが怖かった・・・・・・。

作者の寮美千子さんはいつくしみ育てた子熊を殺し、なぜおいしく食べられるのか不思議でならなかったそうだ。しかし、アイヌの古老から、苦しくて悲しくてならなかったことを聞き、また、矢を放ちしとめ矢を放つときに女の人が泣いている場面の記録があることを知り、ホッとしたという。

人間たちはその儀式の過程で、自らの家族同様の存在を失うという深い悲しみ、辛さを体験することになる。そこで改めて「命をいただく」というありがたさ、重みをかみ締めるのだろう。痛みを知ってこそ、気づきが深まる。子熊の兄であった男の子はこの通過儀礼ともいうべき強烈な体験を乗り越えて、命の尊さがわかるりっぱな狩人になり、そしてこの体験を子供たちに伝えていく。

儀式「イオマンテ」。「すべてはめぐるいのちのめぐみ」。自然に感謝することを忘れないというアイヌの人々の繋げてきた深い智慧。

この話を口伝された一人、フチの安東ウメ子さんが2004年7月15日に71歳で亡くなった。ちょうど1年前、新聞で知った私の心にふっとさびしい風が吹き抜けた。舞台の上のウメ子さんは深い懐の暖かい方だった。ウポポとこの話も残して下さった。この絵本、朗読すると何度も胸がつまったり、熱くなる。読んでみたい方はぜひ、以下のホームページにアクセスしてみてください。http://www.kankyo-lab.com/

最後に、前回の「モミの木」で採り上げた、フィンランドのボチャークの人々の熊祭りの儀式を記しておこう。フィンランド人たちは,熊を殺すと祭を行い、熊の頭蓋骨に酒をついで飲み、今後も獲物がたくさんとれるように熊のうなり声をまねるという。熊の頭蓋骨に酒をつぐのは命の再生という意味もあるらしい。ここで思い出すのは織田信長が敵の大将のドクロに酒をついで飲み干した、という逸話だ。イオマンテでも子熊の首を祭る。この話は古から続いていた首狩の習俗へも続いていきそうである。

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生命力の象徴・モミの木

ケルト暦のツリーサークルで「りんご」の次はモミの木です。1月2日~1月11日、7月5日~7月14日生まれの人。

「この時期に生まれた人は、自己防衛本能が強い傾向にあります。傷つくのを恐れて他人に心を開けず、保守的なところもあります。けれどもいったんうちとけると信頼できる友人になれる人です。」『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

モミの木といえば、開口一番「クリスマスツリー」となりそうですね。クリスマスツリーの起源に関する伝承は数多くありますが、ドイツが中心のようです。ドイツ中部の山岳地帯ではモミの木に住む小人が村に幸福を運んでくれるという信仰があり、花、ロウソク、卵などをモミの木に飾りつけ、その周りを踊りまわっていたのに発するという考え方、8世紀に聖ボニファクスが布教の途、異教徒たちにとって神聖な木であった樫の木を倒し、代わりにモミの若木を新しい信仰のシンボルとして差し出した、という話。中世ヨーロッパで人気のあった「エデンの園」の劇の中でりんごをつるさげた木がモミの木だった、などなど。

もともと、キリスト教が布教される前から祭りに木を立てるという習慣は、広く行われていましたが、教会としては排斥すべき「異教的」習慣とされていました。ところが、普仏戦争のとき、ヴィルヘルムⅠ世がクリスマスにモミを配ったのをきっかけにドイツに広まったという説もあります。

マルチン・ルターは宗教改革のとある夜、森の木の上に見た天に輝く星を見て感動し、自宅でモミの木にロウソクを立て、そのルター家の様子が絵画になったことにより、民間に広まったそうです。

私は、ある星の降る夜、キャンプ場のテントの中で眠れぬ夜を過ごしていましたが、ふと夜空を見上げると背の高い木々の葉の間から天の星々がダイヤモンドのきらめきを惜しむことなく散りばめているではありませんか!「あぁ、これはクリスマスツリーだ!」と感激したのを思い出しました。

いずれにしても、常緑樹であるモミの木を「生命力の象徴」として神聖視されてきた経緯がからんできます。冬は闇、死、寒さを象徴し、その中でも青々として葉を保っている常緑樹は希望、堅実さのシンボルとされてきました。日本では松、杉、榊、などを神木とし、万年青(おもと)も縁起がよいとされていますが、緑に対する生命力のイメージは古今東西同じようです。

モミの木の話はクリスマスツリーよりさらにさかのぼります。古代ギリシアではアルテミスにとって神聖な木であり、「トロイの木馬」もモミで作られていたといわれています。

上記の本『木の癒し』に、ドイツの民俗学者、フレデリック・ヘッドマンがフィンランドのボチャークの人々の習慣について記しています。ボチャークとは現在ではウドムルト共和国といい、ヨーロッパ、ロシアのボルガ川中流域、カマ川とビャトカ川に囲まれた地域で、ウラル語族フィン・ウゴル族に属します。

そのボチャークの人々はモミを神聖視し、特定の枝を家族の守り神をとし、その枝にパンや肉、飲み物を捧げたり、葬式の帰りには、墓地から家までずっとモミの枝で体をたたき、悪霊が家までついてこないようにしたそうです。ボチャークの人々は祖先を祀ることを民衆信仰の基本にしたので、アジアに通じる要素があるようです。他にアイヌの儀式と比較したくなる祭りもありましたので、次回ご紹介しましょう。

モミの樹脂は殺菌力があり、新芽には豊富なエッセンシャルオイルが含まれています。その香りは暖かく、ウッディー。体力をつけ、不安やストレスを鎮める作用があります。目をつむって深くその香りを吸い込めば、そこは小人のささやきがかすかに聞こえる深い森。

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カエルとポータル

さて、カエルについての伝承、言い伝え。「カエルが鳴けば明日は雨」これはどなたでも聞いたことがあることわざだ。田んぼの近くに住んでいる人に聞いてみると、田んぼに水が入ると確かによく鳴くという。湿度を体全体で感じることができるのだろう。

カエルのグッズもなじみが深い。どんなご利益があるのか、分類してみよう。

形態:口が大きいので財運を集める。中国では三本足のヒキガエルの置物があるが、なぜ三本足かというと、自分の前方と左右にある財をすべてかき集めるため、という。日本でも小さなカエルの作り物を財布にしのばせたり、財布のストラップにすれば財運がよくなるというのはほぼ常識だ。

生態:水辺に住んでいることから、江戸時代は火災や火傷から身を守るとされていた。

語呂:無事カエル、若ガエル、などコトダマ的な発想から、交通安全、旅行などのお守りへ。

その他、縁結びというご利益もあるらしい。沖縄やバリ島でも魔よけの置物としてポピュラーで、ヨーロッパでもカエルは縁起物だ。見るからに魔女のフランス人の友人は世界中のカエルの置物をコレクションしている。そういう人は珍しくないという。

ここまでは、ちまたにあふれるカエルパワーのうわさ。実際にお金をくわえてもってくるわけでもないのに人々はカエル効果を楽しんでいる。以前読んだ話にはこんな観点の解釈がある。

カエルが鳴けば、時間のポータルが開く。これはどう理解すればよいのだろう。こういう生き物は神の使い、と考えていた昔の人もいた。人間には感知できない事象を感知できるからだろうか。

鳥も鳴く、せみも鳴く、秋の虫たちも鳴く。日本人はとくに西洋人と違う脳の部分でこれらの音を処理するから、カエルの鳴き声もなんらかの効果があるのかもしれない。風流という面の他に私たちの聴覚を刺激して、季節を感知させたり、あるいは癒しの効果があったり。地球のエーテル帯やオーラに、はたまた異次元に働きかけをしているのかもしれない。

アメリカ・ネイティブのストーリー・テリングの文字化、『ジャンピング・マウス』ヘェメヨースツ・ストーム他 述・著 北山耕平 解題と再話 太田出版  に登場するカエルもなかなか渋い役をしている。主人公のマウスに「どうだね、おまえさんにも、この不思議な力、メディスン・パワーを、すこし分けてしんぜようか?」そして、ストーリーのクライマックスでは実に威厳のある物言いになった。マウスはあたかも創造主から預言されているように聞こえる。このケースではまさにカエルは神の依り代であろう。上記の本の解説では「メディスンマン、知者、未来を見る人」とある。

一般に憑依体とされる樹木、岩石、動物、御幣などの中からカエルが世界の物語の中でも頻出するのはなぜか?おなかをさすれば死んだふり、そのコミカルな風貌も味があるが、両生類という「水と陸の境目」に生きる生物、という位置づけが「あの世とこの世の境目」とダブりそうだ、と考えている。川が生者と死者を分ける境目というのは、三途の川に限らず、他の民族にも伝わっている。今夜は盆むかえ火である。

カエルひとつとっても、種類、飼育方法、天気予報、ご利益、物語、依り代と切り口は多様だ。ちなみにカエルの味は塩味が似合うあっさりした鶏風味。まのびした姿焼きには閉口した覚えがある。

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ジャンピング・たまこ

「たまこがいない!!」「え~!そ、そんな!」

みんなでそこら中を探してもなかなかみつからない。すみのほうに頭を突っ込んだ者が「きゃっ!」 たまこは、果たして前髪に飛びついてきたのである。まさにジャンピング・たまこ!ぴちょっ、ホッ。

夕飯時まで確かに、水の中で泳いでいたのだから突然いなくなるのはおかしい。というのは無知のしわざ。たまこはアマガエルになったのだ。お財布に入るほど小さな体にはまだ長い尻尾がたれている。

もらってきたときはまだかぼそい後ろ足が二本の状態の「おたまじゃくし」。近くの田んぼから救出してきたというが。口はまだパクパクと魚の丸い形で、目もまだ魚っぽかった。それが二日もすると口が左右に広がり、頭の部分が四角くなってきた。前足が出る準備である。

早朝、小さなピンクのバケツを上からのぞくと小さい右腕が伸びていた。バランスが悪いのか、いつもより泳ぎにくそうに見える。そろそろ、砂利を寄せて上陸の準備をしてあげなければならない。えら呼吸ももう少しで終わりだ。わりばしで砂利を寄せると、すぐさまたまこは顔を砂利に乗せた。へえ~、これは本に書いてあるとおりだ。

左腕が出る予定の場所が膨らんでいる。今度はいつ左腕が出るか気になってしょうがない。蝶ではないが、腕が出る瞬間を目撃できたら、それはもうけものだ。右腕が出たことに気づいてからおよそ3時間後、通りざまにのぞいたら、出ていた!ちゃんとちいちゃな吸盤もついている。しかし、疲れたのか、長い尻尾も動かさないままボーっと水面を漂っているだけだ。少々心配になってバケツを揺らすと、尻尾だけはひょろっと動かした。もはや魚の目ではない、まるで古代エジプトのレリーフのような目は未来永劫を見つめている。実に哲学的な眼差しだ。

それから私は安心して外出、夕方の帰宅後確認したら、たまこは元気になって泳いでいた。冒頭の事件はその何時間後かに発生したのであった。

昔、友人がおたまじゃくしをたくさんバケツで飼っていたが、ある朝起きたら一匹残らずいなくなり、それから近くの田んぼは毎夜カエルの合唱でにぎわっていた、と話してくれたことがある。その脱走を今回身をもって体験したわけである。朝まで泳いでいたのに、夕方には初ジャンプ、空気のある新天地へ飛び上がったのだから、すごい勇気だなと思う。いや、飛べてしまったのだろう。カエルのジャンプ力は侮れない。DNAの成せる神秘のショー。

カエルの変身は小さいころは、そういうものだ、と思って単に現象を観察するのみだったと思う。大人になってから目の当たりにすると、これは人類の胎内での進化と重ねあわさずにはいられない。現在では初期の胎児の発達がリアルタイムでも見られるが、古の人はどう感じていたのだろうか。次回はカエルの伝承に関して記してみたい。

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スィートグラス(ワカンガ)

7月8日、本邦初公開という北山耕平さん解題、再話の『ジャンピング・マウス』ストーリーテリングの会へ幸運にも参加してきました。ゆうど、という昔のいい香りがする異空間で集う様をみて、さながら礼文島のかつての名物ユース「桃岩荘」(にしん御殿)で夜のミーティングをしている錯覚に陥りました。

黒光りする板の間とろうそくの光、猫バスが通り抜けていくようなすがすがしい風。古屋和子さんの力強くハートに響く朗読、のなかかつみさんの心が透明に、素直になっていくようなインディアンフルートの音色、北山さんのいつまでも聞いていたいメディスントーク。おいしくておかわりしてしまった手作りデザートの数々。スタッフの方のお心遣い。そのすべてを包み込む、とびきりいい香りのするセージスマッジがいつまでも会場をクリアにしていました。『ジャンピング・マウス』、そこに込められたシンボル、メッセージは幾層にもなっており、聞き手の成長によって理解がさらに深まるという、ずっと語り継いでいきたい智慧のかたまりのストーリーでした。

今回はスマッジの項で触れたスィートグラスです。三つ編みのスィートグラスが部屋のフックにかかっています。原っぱで一本一本摘みながら編んだシロツメ草の王冠、そんな大きさです。

Hair of Motherという名があるのもうなずけます。

乾燥されたシナモン色の細長い葉っぱは、イネ科の多年草。香りを鼻からスーッと嗅ぐと、のどの粘膜まで切ないくらいに甘くなります。嗅ぐだけでお釈迦様の花祭りで頂く甘茶を飲んだ気分になれるスイートな草。

ホワイトセージなどのスマッジはネガティブエネルギーの浄化と言われますが、このスィートグラスはポジティブエネルギーをひきつけるそうです。先端を燃やして煙を出す方法にも使いますが、そのままでもいろいろな使用法があります。

頭に載せたり、首に巻くと集中力が出たり、電磁波をカットするというのでパソコン作業向き、枕の下に入れて寝ると安眠、夢見がよいなど。ただし、湿ると有害という情報もありますから、十分乾燥させておいたほうがよいでしょう。

私の場合、頭がもやもやしているときに頭に載せると次第に落ち着き、おなかが不調なときに腹部へのせると穏やかに利いてくる、という経験をしました。身に着ける時はガーゼなどでくるんだ方が長持ちします。

私たち日本人もここ数年で口コミで手に入れたり、ヒーリンググッズの通信販売などでスィートグラスが手に入るようになって来ました。もともとはアメリカ・インディアンがワカンガと呼んで、昔から儀式、病気の治療などに使用しているものです。メディスンマンのジョン・ファイアー・レィム・デイアー氏の語った、「白いバッファローの仔牛の女」にワカンガが登場しています。

北山耕平さんのブログにご本人が翻訳された『インディアン魂』河出書房新社の記載があります。「白いバッファローの仔牛の女」のワカンガの部分だけ転載させて頂きます。

http://native.way-nifty.com/native_heart/2005/01/post_2.html

「それからひとびとはいくばくかのワカンガを---スイート・グラス---を、革袋のなかの水に軽く浸してから、それを聖女に与えた。このときから今日にいたるまで、清められることになる人にむかっては、スイート・グラスや鷲の羽根を水のなかにひたして、それで水をふりかけることになっているのだ。」

水にひたしてふりかける・・・・・これは日本の神道においては榊を水にひたして祈祷のときに参列者にふりかける、西洋では魔女の草バーべインを水に浸してからあるものに投げつけると、いいことがおきる(別途掲載します)、と類似性があるのでは、と考えています。

水による浄化作用、それから、ひたすということはホメオパシー的、つまり天文学的な数値に希釈されたスィートグラスエッセンス、榊エッセンス、バーべインエッセンスという効果が望めるのかもしれません。バッチ博士のフラワーレメディーの古典的原初的使い方?科学的に検知できなくても何かしらの効果があるという、未知の波動の考え方ですね。

しかし、現代では植物や石に留まらず、ヒトデやイルカのエッセンスまでありますから、ネイチャーエッセンスという名前も定着してきました。笑いの部屋には軽く楽しい波動が、怒りのエネルギーにはどす赤い波動が・・・・。スィートグラスには清めるという波動がそなわっているのでしょう。アメリカ・インディアンは直感で、経験でそういうことがわかっており、その智慧を生活に浸透させ続けているのです。

ワカンガを手に持って毎日唱えればすばらしい効果が出る?!というマントラを教えてもらいました。教えてくれた方はネイティブの方から直接聞いたそうです。

One Mind One Body One Spirit All Are One

すべてのCreaterに感謝するということ。ワンネスへの思いではないでしょうか。

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スマッジのうねる煙

アメジストの項で石の浄化について触れましたが、今回は石を浄化するためのひとつの方法、スマッジをとりあげます。スマッジとはお香のような使い方で、アメリカ大陸の先住民族が、空間や場の浄化のために乾燥したハーブに火をつけ、炎を消してから煙を焚くものです。よく使われる植物にセージがあり、束にしたものの先端に火をつけ、戸外で振り回してから屋内を燻せば悪霊を払うことができると信じられています。

他に使用するハーブは、シダーウッド、ジュニパー、スィートグラス(ワカンガ)などが代表的です。燻すという点では、日本、中国、インドの白檀などのお香も使用することができますが、それはお香の記事のときに別途記載したいと思います。

宝石類をスマッジするときは、まず、お線香を立てるときのような準備を整えましょう。素焼きの適当な大きさの器に砂を敷き詰めても、一般のお線香たての要領でもかまいません。大きな束に火をつける必要はありません。すっきりした香りのするホワイトセージの葉を一枚はがし、そっと火をつけ、燃えたのを確認したうえで炎を消し、煙を立たせます。

ひとりで行う場合は、片手で煙が出ているセージをお線香立ての上で持ち、もうひとつの手で浄化したい石を持って、煙をからませるようにします。すると、煙がすっと石に絡む場合と、いつまでたってもなかなか煙が絡まず、まるで石の周りだけを避けているように見えることがあります。

煙が石を避けているときは、その石がまだまだ疲れていたり、何かいらないものをまとっているというサインです。その場合は根気よく煙に通したり、途中でスマッジを中断して石を流水に当てたりして再トライ。次第に煙が絡むようになります。くまなく煙が絡み、自分でも気が済んだら、浄化終了です。このようにスマッジしたくなった石、アクセサリー、ジュエリーを次から次へと燻しているうちに、部屋もすっかり燻されてクリアな空間になっていきます。

煙が意思ある生き物のように見えてくる体験をなさるかもしれません。石ではなく、時には自分に向かって煙が絡んでくることもあります。その場合はじっと煙に巻かれるままにしましょう。寺院でお線香の煙を手で「頭がよくなりますように」「ここが治りますように」とわざわざ巻きつけますが、それと同じです。煙は見えない世界と見える世界をつなげる道具。まっすぐ立ち上る煙を見つめていると心がだんだん穏やかになってくる経験はありませんか?

石を購入した折、包装する前にスマッジしてくれるお店もあります。家につれて帰る前にぜひ浄化したいものです。何個か買い込んで、浄化せずにこのままいっしょに長旅をするのは不安、と郵送を頼んでいる人もいました。石を手に入れて、何か思わしくないことが続いた場合は、一度スマッジをしたほうがいいかもしれません。

その他の浄化方法としては、流水にくぐらせる、塩水につける、海水ですすぐ、塩に埋める、太陽にあてる、月光、星光をあびせる、土に埋める、クリスタルクラスターにのせる、などがありますが、水、塩水や太陽の強い日差しと相性が悪い石もありますから、確かめてから実行することをお勧めします。

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ルチル入りアメジスト

鉱物第1号は、アメジストです。ずいぶん前のことになりますが、私にとってアメジストはパワーストーン、護符としてはじめて効果を期待して手に入れた第1号です。それまで、もちろんアクセサリーとしての宝石類は持っていましたが、ファッションの一部としてのおつきあいしかしていませんでした。

都内の有名デパート、宝石売り場のルース(裸石)コーナー。磨き上げられたショーケースの上から食い入るように物色していた私に、店員さんが「お出ししましょうか?」

その大粒で落ち着いた紫の輝きに、私は目を奪われました。見つめているだけで今まで拡散していた意識が集中していくようだったのです。値段は意外にもお手ごろ。もともとアメジストは多く産することから、高価ではありません。その石はカットの精巧度や中にルチル(針状物質、インクルージョン)が入っているので、カラットが大きくてもその値段がついたのでしょう。後日、ルチル入りはパワーが強いと聞きました。

ルースのため台をつけてもらうのですが、指輪のデザインにはダイヤモンドはつけませんでした。今回は純粋にアメジストの波動を感じたいから。最近は石のコラボレーションなどと言って、石を組み合わせるデザインも目立ちますが、石の相性を鑑みる必要があるので、要注意です。

たとえば真珠にダイヤモンドが取り巻いているものは定番ですが、硬度が硬いダイヤモンドに軟らかい真珠では効果が相殺されてしまいます。大体はダイヤモンドによって効果が増す例が多いのですが、パワーストーンとして使用したい場合は、色石の組み合わせには繊細になったほうがよいでしょう。

できあがってきた指輪は、とてもシンプルでシック、おそらくずっと身に着けていけるデザインです。それから私とアメジストの対話が始まりました。

パワーストーンとしてつきあっていくためには、それなりのお手入れが必要です。定期的に浄化し、対話をしていく。浄化については新たな記事にまとめていきます。石は長い長い旅をして自分のところにやって来ます。世界の鉱山で石を採掘し、研磨、カット、台に載せる、石は多くの人に触れられます。石の種類によっては様々な思いを吸収してしまうのです。プラスの思いであればよいのですが、そうでないものは持ち主にとって不必要なものでしょう。初めて身につける前の初期化、身に着け始めてからは、パワー再生の浄化が必要になってきます。

初期化されたアメジストにはまず自分のところへ来てくれたことに感謝。それから友人になってくれた石は枕の下では安眠を促し、身に着けていないときには留守宅を守り、共に外出した時は電車の待ち時間を短縮したり、集中力、直観力を冴えさせたりしてくれました。

アメジストの効能というべきものはまだまだたくさんあります。感情のコントロール、恐怖や不安を取り除く、人間関係の改善、悪酔いを防ぐ・・・。中枢神経系に効果があるようです。

アメジストを司る惑星はラッキーな星といわれる木星。そんなことから身に着けるとなんとなくラッキーなことが増えるのかもしれません。ここで注意したいのは、長い時間太陽光に当てると、変色しやすいということです。石の組成によるものですが、色が抜けたり、青っぽい紫が赤紫に変色してしまうこともあります。私の場合はお休みさせれば次第に元の色に戻っていきました。

石とのつきあい方で心に留めておきたいのは、石に頼り過ぎないということです。あくまでも主体は自分自身、自分なりの努力はする。友人のように対話していくことが効果を最大限に引き出していくポイントだと思います。

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大工さんに伝わる怖い話

建築関係のブログの方からトラックバックをして頂きましたので、今回は大工さんに伝わる怖い話をしましょう。

以下は武蔵野美術大学教授の神野善治先生からお聞きした話です。日本中の昔話や伝説等の中で、一般の人は耳にすることはないといいます。代々大工さん仲間だけの口伝で、棟梁から若い弟子へ今でも語り継がれている内緒の話だそうです。

あるとき、飛騨の有名な宮大工は大きな仕事をもらい、誠心誠意毎日仕事に励んでいました。ところが、かなり建物ができたころ、とりかえしのつかない失敗をしてしまいました。入り口の両側の柱を短く切ってしまったのです。これは大変です。頭を抱えて困りきっているところへ、その宮大工の女房がある智慧を授けます。

柱の下に「はかま」をはかせなさい。そうすれば短く切ってしまったことがわかりませんよ。

かくして、この宮大工は女房の智慧と自らの技術によって、無事に完成させることができたのです。今でも見られるはかまをはいた柱の元の話なのでしょう。建築関係のホームページで、建て直しのとき建具を再利用するにあたり、長さが足りないということで大工さんが建具にはかまをはかせてはめこんだ、という話を読んだことがありますが、この話とつながりそうです。

大工さんに伝わる怖い話、でしたからこれでこの話は終わりません。

この宮大工は口封じのために女房を殺してしまったというのです。ただし、この話も地方によって話の内容が違うようです。

それからというもの、その宮大工は供養のためにか、棟上のたびに五色の布とくしやお化粧道具を屋根裏に祀り、その習慣は今でも続いているそうです。入れるものは地方によって異なり、私も実際に、コケシ、くし、鏡、かもじ、紅、おしろい、鶴亀の扇子、人形などを見せて頂きました。

建築の儀礼に関しては、大工さん自身が行います。いろいろなものを祀るのは彼らが建築していく上で守り神とするためです。また、木は切り出され、犠牲になりながらも家になってくれるので感謝を表す意味もあるらしいです。

奥さんのことを「山のカミ」といいますね。建物になる木は山から切り出され、里へお嫁入りしたようなもの。習慣的に使っている言葉と民俗は相互に関係があるものが多そうです。この口伝は大自然と人間との係わりを伝えようとした話なのかもしれません。

神野善治先生にはご本人の『木霊論 家・船・橋の民俗』白水社を紹介して頂きました。(おすすめの本参照)

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りんごのメッセージ

りんご、りんご、りんご、懐かしい響きを感じませんか。りんごは私たち日本人にとって最も身近な果物のひとつでしょう。熱を出したり、下痢のときにおかあさんがすりおろしてくれるクリーム色のみずみずしいりんご、お弁当箱の中で耳が赤くつややかに光るよそゆきのりんご。「知恵の実」とも称されるりんご、このブログには欠くことのできないピースのひとつです。

ケルト暦のツリーサークル中、りんごの時期は6月25日~7月4日、12月23日~1月1日。

「この時期に生まれた人は、天と地、善悪の仲立ちをすると言われています。かれらにとって理性と感情はひとつのものであり、倫理面でもとても寛容だと言われます。また、すすんで他人を援助します。」 『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

りんごにまつわるおとぎ話や逸話はどなたでもいくつも思いつくことができるでしょう。前回のいちじくの記事にも登場したアダムとイブの話にりんごはつきものです。初期キリスト教時代に罪、誘惑、禁断の実、命のはかなさ、というイメージが印象付けられました。ところが、聖書には「善悪を知る木」とはありますが、りんごとは明記されていません。現在ではその木の正体に関して、マルメロ、オレンジなどの説がありますが、生育環境から類推してアンズという説が有力だそうです。この話ではりんごでない可能性があるわけですが、エジプトのラムセス3世の庭には多くのりんごの木が植えてあり、ラーの神殿へりんごを捧げたといいますから、神々の果物という位置づけはあるようです。

その他、白雪姫の毒りんご、ウィリアム・テルの射抜いたりんご、ニュートンの万有引力の逸話など、その赤く魅惑的な実は誘惑、決断、命、死と蘇生、きっかけ、直感、智慧というような何かしらの象徴を表しているようです。りんごのメッセージをどう読み解くか。

上記のケルトのツリーサークルの内容とあわせて考えてみると、ふたつの性質の違うものをつなげる役目~右脳と左脳を橋渡しする脳梁~のイメージが沸いてきます。女性は男性より脳梁が太く、音楽家はとくに脳梁が太いと聞きます。白雪姫とウィリアム・テルはりんごをじっとみつめて、脳の中で葛藤しつつも最終的には判断する。判断力としてのりんご。このようなおとぎ話や逸話は身近なものを象徴として、子供たちに智慧、深い意味を伝えてきているのではないでしょうか。右脳と左脳をつなげ、バランスを保たせるためのツールのひとつ。

では、なぜりんごなのか。形状として丸い、赤い。そして甘酸っぱくおいしい。オレンジもアンズも丸い。ドラえもんの丸い目やスタイルは脳を興奮させる。また、その丸さは完全のシンボル。トマトも丸くて赤いが木ではないし、白雪姫の森には似合わない?赤は情熱の色、暖かさを伝える色、ときには「止まれ!」を連想させ、踏み切りの色を注意を促す黄色から赤に変えた場所はドライバーが交通法規を守るようになったとか。それでも白雪姫はかじってしまったのです。人間のいろいろなタイプを表しているかのような7人のこびとは智慧のかたまり、エンディングは王子によって白雪姫はめでたく蘇生します。

毎日りんごひとつで医者要らず、といわれるようにりんごの薬効は広く知られています。生のりんごは特に午前中に食べると体内を浄化する作用があります。この体外へ有害なバクテリアなどを排出するという働きが、死と蘇生の話につながりそうです。

りんごの薬効、利用法はまだまだありますがこのへんで。りんごの産地では古い国光の木に新しい品種を接木して栽培を続けるなど、農家の智慧が活躍しています。昨年の台風の被害で影響があるとのことですが、生のりんごはもとより、フレッシュなジュース、シロップ漬け、ジャムなど智慧の実をありがたく頂きたい。

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