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獣食とマタギと不食とジビエ(1)

アイヌの儀式『イオマンテ』の項で、熊を食す例を紹介した。アイヌの最後の狩人、姉崎等氏は生涯で60頭の熊を獲ったという。熊の狩人といえば北日本のマタギを連想する。

マタギという名の語源には諸説ある。シナの木の皮からつくった織物の名から、マタギが持っていた股木から、アイヌ語のマタウンバ(雪山で狩をするもの)からきているという説など。神の依り代である常磐木の杖を持っていたことから、山、樹、人との深い関係性をみることができる。イオマンテのように残された子熊を育てるという風習はないが、山の神=女神のご機嫌をとる、たとえば、美しくないオコゼを供えるなどの儀式はある。

イオマンテの中では熊の親子を共に殺さないが、それをタブー視する風習があるかららしい。マタギと同様、山の神=女神という考え方を母熊に投影させると、小熊は切り出される山の樹と同じように考えられないか。「大工さんに伝わる怖い話」とリンクしそうである。

マタギも山の神に対する儀式をして、獲物は均等に分けて食べていたという。独り占めはご法度である。この共同体の智慧が長く伝承されていた。ところで、現在も熊の肉は缶詰になっていたり、旅館のメニューになることもある。次に獣食の歴史について触れてみたい。

縄文時代は鹿、猪などの狩はしていたが、主食はよくあく抜きをしたどんぐりなどの木の実で、犬は狩猟犬として使い、発掘結果から埋葬も人間と同じように丁重であったことがわかる。弥生時代では犬の骨はバラバラになって発掘されており、犬を食べる習慣が持ち込まれたらしい。

その後、676年、天智天皇の世、肉食禁止の詔が出された。これは仏教渡来による不殺生の思想とみられる。牛、馬、犬、鶏、猿の5種で、禁止は4月から9月の農耕期に限られていた。実際に食べられていたのはその他、熊、狼、狐、狸、カワウソなどである。平安期の肉食禁止も緩やかなものだったらしい。もともとの肉食禁忌は僧侶に始まり、貴族、庶民へとその裾野は広がっていった。

時代は下って、江戸時代。江戸に獣肉をメニューに出す店が現れる。一号店として麹町の「山奥屋」(甲州屋という説もあり)といい、猪、鹿、兎を扱い、その鍋料理の味は評判になり、繁盛したという。また、「ももんじや」という店が江戸から有名であり、現在もその暖簾を守っている。

幕末期になると、豚も食べるようになる。その一方で学者らの肉食反対論と蘭学者の迷信にすぎないという主張がぶつかりあった。1867年、坂本龍馬が暗殺されたその年に、江戸に牛鍋屋が出現した。

そして、1871年(明治4年)、明治政府はフランス料理を宮中の正式料理に定め、翌年、明治天皇自らが肉を食した。「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」。牛鍋はまさに文明開化のシンボルのひとつとなった。(次回へつづく)

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