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壇ノ浦のその後・湯西川『平家の里』

旅の途中、ふらりと栃木県の湯西川温泉に立ち寄った。以前宿泊に来たときは、早春のなごり雪の中、マタギの里を見学した覚えがある。かなり冷えこんだ。当時はまだ高級品だったまいたけを山ほど買ったり、静かな町をぶらぶらした。

今度は真夏、深い山を潜り抜け、途中、嵐のようなスコールの洗礼を受けて到着したときは、うそのように晴れていた。いうまでもなく平家の隠れ里である。ちょうど今日はNHKの大河ドラマ『義経』「決戦・壇ノ浦」の放映日だ。この里は、壇ノ浦の「その後」の一端でもある。

平家の里を復元したという『平家の里』の冠木門はなかなかおごそかである。今は緑の覆いかぶさる木々は、秋にはさぞかしあでやかであろう。内部は太敷館(受付)、調度営みどころ(民芸品加工所)、よろず贖いどころ(生産物直売所)、床しどころ(展示館)、種種伝えどころ(郷土文化伝習館)かれいの館(お休み処)、湯西川赤間神宮(安徳天皇の菩提寺である下関赤間神宮の分祠)、鹿園、平家塚からなる。

園内を散策しているとき、琵琶奏者の桜木亜木子さんとすれ違った。江戸紫の着物に長い黒髪がたれ、白い足袋が足元の苔に映える。演奏があるのも知らなかったが、間に合わなかったのは残念である。演奏の舞台であった種種伝えどころの屏風の前には座布団がはんなり置いてあるまま。琵琶の倍音がまだまだ空気をゆらしているようでもあった。

さて、湯西川へ平家の人々がやってきた経緯。壇ノ浦の戦い後、平家は日本中に散らばっていく。平家の家臣、平貞能は小松内府平重盛の妹君である妙雲禅尼、忠房の忘れがたみを擁し、宇都宮の藤原朝綱公のもとへ落ちのびた。その後、さらに藤原の最高峰、高原山に身を隠したが、一族の婦人が男の子を出産。その折に端午の節句に鯉のぼりを立てたが、源氏方に見つかり、貞能は塩原へ、忠房公の忘れがたみ一族は湯西川へたどり着き、やっと落ち着いたのであった。これ以来、湯西川では鯉のぼりをあげず、鬨をつげる鶏は飼わないという風習が残っているという。風習の発祥にはこんな苦い経験がからんでいることもある。

『平家の里』の出口近くには、「平家塚」という一族の財宝を埋めた林がある。その塚は楡の木とイチイの木の根元にある。数多くある木々の中から、なぜこの二つの木が選ばれたのか。平家の人々は意識的に植えたはずである。

楡の木はすでに「不安に打ち勝つ・ニレの木」で掲載済みである。ぜひ参照されたい。死と悲しみのシンボルでありながら、不安に打ち勝つという幸福の木。もうひとつのイチイの木は11月に掲載する予定。西洋では墓場の木、魔物を追い払うといわれている。それは毒性が強いからであって、財宝がけものに掘り起こされたりしないように、という配慮があったのだと予想される。平家の人々も木の特性をよく知り尽くしていたのだろう。

最後に、安徳天皇のその後について追記しておきたい。従来は海に身を投げて短い一生を終えたとされていたが、今日のテレビ放映では時子が身代わりを抱いて共に身を投げた。その後、どう描かれるかは来週のお楽しみ。

ところで、安徳天皇が落ち延びたとされる伝説地は実に十数か所に及ぶ。その中でも、阿蘇の上益城郡清和村緑川地区には安徳天皇の山陵跡があるという。超古代の阿蘇朝廷時代、天照大御神の皇居があったと伝説される、日の宮幣立神宮のそばである。幣立神宮といえば、1995年の五色人面祭に参加したことがある。もうちょうど10年前だ。その折、『安徳天皇と日の宮幣立神宮』柞木田龍善、新人物往来社の増補第三版に出会った。盛大な祭りの隅で静かに並んでいた本である。

地元では800年来ずっと、安徳天皇陵として祀ってきたが、なぜ最近になってクローズアップされたか。それは昭和58年に日の宮幣立神宮で神霊者が安徳天皇の神示を受けたことに始まるという。その後、安徳天皇の御魂を祀っている山宮神社社殿屋上に安徳天皇と二位尼局と思われる姿の不思議な写真を撮られた方がおられるという。

交通はかなり不便であったが、すばらしい自然の残る蘇陽町周辺。私も不思議な体験をした。そのうち取り上げてみよう。蘇る太陽の町は超古代から平家の情報まで深く擁しているようだ。


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コメント

こんにちは!
ネットから検索、随分前のブログにコメントさせて頂いています。
実は「安徳天皇と日の宮幣立神宮」の本を探しているのですが、古い本ゆえなかなか出合えず。。。
もし何か情報をお持ちでしたら、ぜひ教えて頂けないかと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。

投稿: MIHO | 2008年9月28日 (日) 13時05分

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