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五個ならできるけど・・・・・

志賀高原でゆっくりと避暑したあと、新潟周りで帰宅したことがある。かなり遠回り。

途中、ガードレールなしの道の下は崖、荘厳さと不気味さをも感じさせる切り立った山山山。マタギのなわばり。

臼状にひろがる、ひなびた温泉地にたどりついた、が、適当な飲食店が、ない。平家の隠れ里の歴史があるらしい、そんなひっそりとした村。

空海が開いたという温泉がコポコポと音を立てて涌いていた。

「温泉卵用意できます」と立て札。

あぁ、小腹にうれしい。さっそく、その温泉宿に足を踏み入れてみた。

人気のない、動きのない空気。やっと割烹着姿のおばさん二人をみつけて、

「温泉卵、注文できますか?」

「あ~できるけど」 顔にサービスのサの字もないそっけない返事。ちょっと緊張。

   「四個お願いします」

   「えっ・・・・・四個?」としかめつらをして、二人は顔を見合す。

けげんそう、かつ、縁起悪そうな顔つきで私たちを舐めるように見るのだ。

   「四個じゃねえ。五個ならできるけど・・・・・

   パッキーーーーン(その場が気まずく張り詰めて、フリーズする音)

とっさに私は、(ここは平家の隠れ里、昔からの伝承、迷信も大切にしているに違いない、四はシ、死だからタブーなのだ、あまっても五だ)とピンと思い、

「い、いえ、いえ、ゴ、五個でお願いします」

宿のおばさんは、安心した顔つきになって「五個ならできるよ、温泉からあがる頃には用意しとくから」

かくして、窓の外の豊かな山を眺めながら温泉につかることができた。

が、温泉から出てくると、誰もいない。

ほうぼう探して、やっと離れの客室でうたたねをしているおばさんを発見。

やっと手にした温泉卵はぬくぬくと暖かくてほっくりおいしかった。

あまったひとつの卵は分けて食べた。

都会のお店ではおそらく経験できない買い物方法であろう。オマケでなく、縁起のためにひとつ多く買わされたのだから。

一から数を数えてみて。

いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう。

10から下に下がって数えてみて。

じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち。

不思議だね。ひとによって、多少の違いはあるけれど、10から下へ下がると、万葉言葉の記憶が出てくる、と聞いたことがある。日本語とヘブライ語は数字で言葉が書けるのが面白い。数字は宇宙語?数秘術、これまた奥が深すぎる。

ちなみに、学校では0はゼロではなく、零(レイ)、日本語で教えている。

「いえ、四個で結構です」と言ったら、ゆでてくれなかったかもしれない。

数魂尊重のおかげで、温泉卵にありつけました。

  

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いなにわそうめんと極上箸

寛文五年堂の「いなにわそうめん」をゆでて、さて食べようとしたらいつもの箸では食べにくい。青山の小粋な箸専門店でみつけた手作りの桑の箸で、結構気に入っているのだけど、ナチュラルな丸型だからこそ箸先がぴったりあわないのである。

    そうだ、お出かけ用のMY箸を使おう!

金茶の地に白の絣模様の箸入れからスルスルとお出ましした竹の繊細な箸。とりわけ、おそばの時には大活躍。

さっきまでは幾分でも力を入れないとうまくつかめなかったのに、この箸にしたとたんにすんなりとつかめ、ジレンマなく食すことができるのである。しかも素朴においしい。

この箸、ただものではない、のだ。

代々木のアースデイ、喧騒から離れた場所にその箸はそそと並んでいた。motherbirdという箸袋・箸ふくさの製造、販売元のご主人が方々めぐってやっとめぐり合えた極上品。説明を聞いているうちに、その情にもほだされて、いい買い物させてもらいました。出会ったおばあちゃんの智慧に習ったという箸入れは、日本伝統の「折り」のセンスが生きています。

九州は日田天領水で有名な大分県日田市。小関工芸のやまご箸

数十年から数百年手入れしてきたの樹齢3年以上の日田孟宗竹を竹林から大切に切り出し、ゆっくりと天日干し、竹の繊維を切らないようにして、しかも塗料一切なしの角型箸。

角型だからこそ箸は頭部から先部まで、隙間がまったくなくぴったんこ。

塗料なし、先端は1.5ミリの細さ(1.3ミリからある)。これならすべらずゴマ一粒までつかめます。「いい仕事してますね」の一品です。

「おそばがおいしく食べられますよ!」

それを確かめたくて、買ってからまもなくしてから、お気に入りの栃木の出流そばの「いずるや」へ。松本のおそばも麻布十番の更科も好きだけれど、細くてコシのある出流そばは洗練されて味も香りもよい。隠れたファンも結構多い。いずるやでは豪快に一升盛がおすすめ。

ほんと、おいしい。箸を持っているのもわすれるほど。食べることに専念できるし、何より口触り、舌触りがよく、箸に染みるつゆもそのままの味。セルフで取り出す割り箸のささくれが触ることもない。

割り箸は間伐材といわれているが、実は年間250億膳も消費されるうちの90パーセントは輸入に頼っているという。日本人が使う割り箸のために、外国の木がわざわざ伐られているのだ。中国の度重なる洪水も乱伐によるところが大きい。

話はそうめんに戻る。秋田の稲庭うどんは有名だが、私が食べているのは寛文5年堂の「いなにわそうめん」。細くて長い。34センチ。最も権威のある国際食品品評会「モンド・セレクション」で最高位の大金賞受賞に輝いたそうな。なるほど、日本中の食通をうならせたわけだ。

そうめんの製造工程では欠かせないといわれる油を一切使用しておらず、寒造りで塩と水の微妙な塩梅によりその美味を引き出した。油に頼らずここまで細く長くできるのは、受け継いできた伝統製法のなせる技、だそう。

この細く長いそうめんには、やまごの細く四角い箸が大活躍したわけだ。箸によってこんなに味も食べる気分も変わるなんて。~そうめん、箸を選ぶ~

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インディアン伝承シャンプー

インディアン伝承シャンプーをインターネットのメルマガで知ったのは今年の夏のことである。

インディアンにハゲがいないって本当?

シャンプーにしては高いし、本当に効果はあるのだろうか?

と、二の足を踏んでいるうちに数週間。でも気になる。2本購入すると割安になるので、母に声をかけたところ、意外にも快諾。よさそうならそのくらいかけてもよいという。

まもなく届いた品は丸みを帯びたシンプルな形で、ココペリが描かれている。

さっそく使ってみると、キャラメルがとろけたような液体はさわやかな香りがして、少量でもよく泡立つ。液体の成分は後述するとして、シャンプーするにはシャンプーの仕方がミソなのである。よく水で汚れを流した後、指の腹を使って頭頂部へ向かってグーッとマッサージする。これがなかなか気持ちよい。今までのゴシゴシ往復運動はNGだったのだ。

購入快諾の母は抜け毛が減り、ハリ、ツヤ、コシも戻り、大のお気に入りとなったそうである。少量でいいというが、いったい何ヶ月もっているのであろうか。

私は途中違うシャンプーのときもあったが、今は2本目。抜け毛は確かに減り、髪の毛の勢いがよくなったと思う。なにより、行きつけの美容院からは「とても状態がよいですね。」と言われている。

販売元は株式会社エモテント 、毛髪ケアのトリビックは多くのアメリカのインディアン(インディアン自身が称している呼称です)に毛髪ケアのインタビューをしたそうだ。

      「頭髪に永遠の魂が宿る

インディアンの間ではそう考えられている。村によっては自分たちのことを話すと村を追放される、となかなか話してくれない種族もあるという。

そのような中で、ユッカ根エキス(サボテンの根)、ベントナイト(泥)、ホホバ油、グレープシードルオイルなどの情報を得る事ができたという。トリビックでは日本人の頭皮に合うように、その他のものを調合してつくりあげた。

1万年の歴史をもつインディアンに先祖代々受け継がれてきた教え。私たち日本人とルーツのどこかでつながっているのであろうから、再びその伝承の智慧の恩恵を受けたと考えてもよいかもしれない。

日本にもりっぱな椿油がある。祖母が髪に塗布して、つげの櫛でよく梳かしながら、

「髪には椿油がいいのよ」

と教えてくれたのを覚えている。パサついたときなどにつけると、本当にうるおいが戻ってくるのである。天然のトリートメントとなるし、朝のクセ直しにもよい。

最近ではシャンプーでも鉱物油が入っていないものなど、気をつける人が増えてきた。一見さらさらつやつやに見えても、髪の毛がどんどん茶色く、細くなってしまう製品も確かにある。

インディアンシャンプーが推奨するように、まずは頭皮を健康にすること、それから栄養を補給してあげること、これが王道なのだと思う。

ネイティブの智慧を現代に生かした製品、これこそ「土着の知」の応用シャンプーといえよう。けれども、原料のユッカも需要供給のバランスを考えながら大切に栽培しなければならないだろう。

インディアン伝承シャンプー追記へ続く。

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『お月とお星』

人間が命をつなげていくために必要なものを語っている、日本の昔話があります。

    『お月とお星』のお話、ご存知ですか?

    継母と子捨ての話です。

むかし、むかし、お月という娘が父さんと二人きりで暮らしていました。そこへ新しい母さん、継母ですね、がやって来ました。連れ子のお星という娘は、お月を姉さんとしてなついたけれど、母さんはお月に辛く当たるばかり。

ある年の冬、父さんは遠くの町へ仕事にでかけ、家は3人きりになりました。母さんはこの機にお月を山へ捨てることを計画します。石の箱に閉じ込めて。お星はその石の箱を注文しに石屋へ行かされます。その時、お星は石屋に特別な注文をします。

「箱に2つの穴を開けてください。ひとつの穴からは空気が入ってくるように、もうひとつの穴からは光が差し込むように」

石の箱ができてくると、お星は母さんにみつからないように、箱の中に水と食べ物となたねを一袋入れました。なたねは山へ運ばれるとき、開けた穴から少しずつこぼしてもらうためです。春になれば菜の花が咲き、お星はお月を助けに行くことができるから。

翌日、母さんは石の箱へお月を押し込め、山へ向かいました。お月はお星に言われたとおり、穴から少しずつなたねをこぼしていきました。真冬の寒い寒い日でした。

やがて眠っていた命が目を覚ます春がやってきました。

お月が蒔いたなたねは見事な菜の花を咲かせました。黄色にそよぐお月へのくっきりとした道しるべとなっていました。お星はその菜の花の小道をたどって、無事お月のもとへたどりつけたのです。

重く硬い石のふたを開けると、そこにはやせ細って小さくなったけれど、確かに命のあるお月がいました。ところが、あまりの恐ろしさと悲しみで泣き続けたお月の目は見えなくなっていました。

その姿を知ったお星の目からは涙があふれ、その涙がお月の目にこぼれたとたん、お月の目は開いて再び見えるようになったのです。それから二人はあてどもない旅を続けますが、ついには実の父に出会うことができました。それから3人は幸せに暮らした、とさ。

というお話です。

空気、光、水、食べ物、そしてなたね。お月が冬を越え、春を迎えるための必要最低限の命綱でした。雪の降り積もる寒さからどうやって身を守ったのか、それは石の保温が守ってくれたと考えましょう。

空気と光と水と食べ物でお月は生き続けることができました。なたねはお星が差し入れてくれた人間の智慧でした。蒔かれたなたねは自然の空気と光と養分でしっかりと成長することができました。

そして、他の条件、春という時期と温度です。

お月にとっては、それに加えてお星の兄弟愛、迎えに行くという約束、それに対する期待と希望がありました。この精神的支えはさぞかし大きかったでしょう。

種を蒔いておけば、春になれば花が咲く。辛抱強く待っていれば。そして、あきらめないこと。

残酷でかわいそうなお話ですが、読むたびに生きる条件、その他の条件、精神的支え、などいろいろ考えさせられるストーリーです。心に残ります。

地上から見上げるに、星より月の方がはるかに大きく見えるので、月の方がお姉さんと考えられたのかもしれません。しかし、自ら光らない月は実は恒星、太陽系の月は太陽に照らされて光っています。お月にとって、お星の愛は太陽のよう暖かかったでしょうね。

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木の王者・シーダー

ケルト暦ツリーサークルでポプラの次はシーダーです。2月9日~2月18日、8月14日~8月23日生まれの人。

「この時期に生まれた人は、用心深く、自分に与えられた運命を、慎重に実現しようとします。決して押し付けがましくはないのですが、自分の内なる声に従ってリーダーシップをとろうとするのです。けれでも、それが成功しようとしまいと、うろたえることはありません。」『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

シーダーはとにかく高木というイメージが大きく、その雄雄しい姿はよくいわれるように王者の風格があります。アフリカのアトラス山脈、アルジェリア、アメリカ、ヒマラヤ、キプロス、レバノンなどに生育しています。

レバノンといえば、レバノンシーダー、ノアの箱舟の船材として有名です。現在は残念ながら、絶滅の危機に瀕しているそうです。旧約聖書の時代には、レバノン山脈にはレバノンシーダーで覆われていました。聖なる森があり、人々は香り高き木の下で過ごし、祈ったといわれています。400本ほど残っているのですが、樹齢は2500年と考えられています。

ヒマラヤスギと比較されますが、その違いはヒマラヤの方は枝が垂れるのに対し、レバノンの方は水平に伸びるようです。葉の長さもレバノンの方が短いのですが、はっきりとした違いはよくわかりません。

レバノンシーダーに似ているヒマラヤスギは生まれ育った家のシンボルツリーです。荒れ狂う台風のときに初めて大きく横へ傾いてしまったことをよく覚えています。知り合いたちも駅で待機しており、私が歩いて出ようとしたら、「今出ては危ない!」というほどの暴雨風でした。やっと帰った頃にはすでに傾いていました。すさまじい風だったことがよくわかります。あんなに気持ちよく、まっすぐに育っていたのに、とがっかり。植木屋さんに直してもらいましたが、なんとなく傾きは残ってしまいました。

そのうちもっともっと成長して、今度は電線にぶつかるようになりました。やむを得ず、伐ってしまいました。それでもどんどん大きくなるので、何回も伐ったようです。今では、幹は太いのに、寸づまり、という姿。本当はのびのび成長させてあげたかった。それでも、一年中変わらぬその木の下に行くと、安心感があります。

シーダーの葉はよく香り、アロマテラピーで多用されます。エッセンシャルオイルに使用されるものはアトラスシダー 、またはホワイトシダーウッド。近縁種のバージニアシダーウッド(レッドシダーウッド、エンピツビャクシン)は木材には適しますが、アロマ的には作用が弱い。作用は鎮静、収斂、抗菌、防ダニ。スキンケア、スキンヘアにも使えます。

甘く柔らかな香りは、包み込んでくれるようでホッとします。私は湯船に入れるのが好きです。底冷えのする冬に使用すると、香りの温かみで体も緩んできます。そして、とても気持ちが落ち着いてきます。そのまま入れると、分離してしまうのでアップルビネガーやズブロッカに数滴入れるとよく混ざります。少々値段は張りますが、乳化材のアルシランに混ぜればもっとよいでしょう。

シダーはまさに森林の香り。ストレスや不安を鎮静する効果が高く、女性、男性の別なく広く好まれる香りだと思います。

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簒奪ビーフと西安大餅

家に帰るなり、

          「ピカソの簒奪ビーフ!」

    と皆で歌いながらケラケラ笑い転げているのだ。

         「はあぁ?????????」

簒奪といえば、王位簒奪、前漢末、平帝を毒殺して自ら帝位につき、国号を新とした、王莽をとっさに思いつくのがふつう。在位15年にして後漢の光武帝に滅ぼされた、あの王莽だ。

何でも、秋葉原で大音響でかかっていたのでつい買ってきてしまったという。確かに聞いたことはあるが、のまネコの空耳アワー版をきちんと聞いたことがなかったのだ。

かなり前から、ヨーロッパやネットの世界で空前の大ヒット。ある小学校では運動会で使われたり、クラスの皆が歌えるほど、らしい。実はルーマニア語で歌っているわけ。

ビルボードのヨーロッパチャートでは10週連続1位、400万枚の売り上げ。空耳を表現しているアニメーションの、のまネコが有名であるが、そもそも歌っているのは、ルーマニア人?ではなくて、モルドバ共和国出身のO-ZONEという3人の青年たちである。

モルドバ。この国はルーマニアとウクライナにはさまれた小国で、人口438万人、面積は日本の11分の1ほど。言葉も民族もルーマニアと同じで、国旗もルーマニアの国旗の中央に紋章がついている、という違いしかない。1940年にロシアに併合され、1991年に独立したという歴史をもつ。長らくキリル文字を使っていたが、その機にアルファベットによる表記を復活させた。

OーZONEのメンバーは小学生の頃に、言葉の音は同じでも二つの文字の狭間に置かれたことになる。奇遇なことに彼らの歌はさまざまな世界の言語に置き換えられているのだ。音は似ていても表記の文字が違う・・・・、ついでに意味も違う!

メンバーは2002年にルーマニアの音楽がヒットすることを予感して首都ブカレストに移動。そこから彼らのシンデレラストーリーが始まるのだ。

「DRAGOSTEA DIN TEI」 英語では「WORD OF LOVE 」

日本語で「恋のマイアヒ

日本語の空耳バージョン(エイベックス版)は、のまネコの一匹が誰かに電話しているところをもう一匹がちゃちゃをいれ、そのうち一升瓶の酒を飲んだり、牛の乳をしぼったり、あげくのはてに金髪のかつらをかぶって宴会芸もする。節分の豆を拾ってたべたりして、最後には牛にモーフをかけてもらってすやすや、というストーリーになっている。ちなみに原語では「君が行ってしまうと、色がグレーになるんだ」という恋の歌である。

ちゃちゃを入れているほうのネコ(メス?)のファンも多いと聞く。いろいろパロディーが出回ってるのにはびっくりした。

中でも台湾版は印象的。マイアヒーの最初から、ごきげんな虎や猿が登場し、うなぎ、葡萄、ネコ、エビ、竹の子など次々と画面をにぎわす。例の「簒奪ビーフ」は「西安大餅」に変身。音は「簒」が「西安」、「奪」が「大」、ビーフの「ビー」と「餅」が対応。簒奪で有名な王莽が建国した新の都は長安→西安、ビーフ→食べ物→大餅。めちゃくちゃだが、まったく関係ない言葉群でもない。「キープだ牛」の「プだ」は「葡萄」なのである。ルーマニア語→日本語→中国語、と妙な空耳変換。中国語が聞き取れる人なら結構楽しめる空耳である。台湾風なのではまるのだろう。北京語としては少々ムリがある。それにしても、世の中ボーダレスな世界になったものだ。

どうして、こんなにヒットするのだろう。中毒性があるようで頭の中をぐるぐるかけめぐる。意味づけをすることによって確かに覚えやすいことは確かである。What time is it now?は「掘った芋をいじるな!」で通じやすくなるし、1543年は「以後予算がかかる鉄砲伝来」の語呂合わせ。

数学者のピーター・フランクルさんが学習法で「ざるそば」式記憶法を提唱している。よいそばはざるの上に留まって、抜け落ちることがない。人間の脳もざるのようなものだから、物事を大きく長く、つまりいろいろなものと関連させれば覚えやすくなる、という方法だ。「恋のマイアヒ」は空耳の日本語で意味を練り込み、しかもかわいいのまネコで目も楽しませ、キャラクター効果も生まれる、といったところ。この曲に出会えば、いやなことも疲れも吹っ飛ぶ、という人も多い。

語呂合わせは昔からの記憶法の智慧、ピーターさんの「ざるそば」式記憶法は経験知によるもの。人間の脳のしくみをうまく利用した記憶法なのだろう。

ところで、祖国のモルドバはこれで知名度をあげただろうか。

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遣唐使 井真成 平成帰還

「ああっ、ここが憧れの長安、夢にまで見た長安、ついにやってきた!」

20年近くも滞在したあと、まさかこの地に骨を埋めることになろうとは思いもよらなかったであろうに・・・・。

井真成、弱冠19歳。717年(養老元年)、第9回遣唐使として意気揚々と長安に降り立った。このとき、僧玄昉、阿倍仲麻呂、吉備真備らが随行。青く澄み切った空と長安の雑踏、そして店から匂い立つ酢の匂いが彼らを迎えたことだろう。

井真成、中国史の学者はセイシンセイ、日本史の学者はいのまなり、と呼んでいる。姓は井上、葛井を中国風に変えたものか、もともと井だったのか、そこらへんのことはさだかではない。生まれた年は、699年。阿倍仲麻呂より1歳年下で、大宝律令公布の2年前ということになる。大宝律令の翌年には第8回遣唐使派遣、山上憶良、僧道慈などが随行している。この年、日本国と号す。その後、井真成は11歳で平城京遷都を経験している。

遣唐使はだいたい、20才前後で入唐することが多いので、阿倍仲麻呂も井真成もちょうど適齢期に第9回遣唐使派遣のチャンスが訪れたわけである。時の大唐帝国は713年に武韋の禍時代が終わり、玄宗の親政、開元の治が始まって4年。玄宗もきりりと若く、楊貴妃もまだ現れておらず、勢いのあった時代である。真成が到着した長安は世界の人々が集まり、さぞかし賑わっていたことだろう。留学生も当時で千人から数千人いたといわれる。

長安での勉学生活のわずか3年後、同期の阿倍仲麻呂は早くも科挙に合格。それはそれは秀才であった。李白や王維とも親交があり、一流の国際人となっていった。仲麻呂はたいそう玄宗にかわいがられたのはいいが、それゆえ、日本への帰国は許されなかった。在唐36年後に遣唐使船で帰国を試みるが失敗。ここで在唐を決断することになる。西安の公園に建てられた碑、

あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山にいでし月かも

私は仰ぎ見ながら、帰国できなかった彼をしのんだことがあった。

さて、井真成の方は、といえば、こちらは2004年4月、西安東郊外の河の近くで発見された彼の墓誌に刻まれた文字が語ってくれている。今年の夏、東京国立博物館で公開された井真成墓誌である。この墓誌について、HP管理人は中国の墓誌研究の第一人者である明治大学教授、気賀澤保規先生の講演会を聴講している。

発見されてからまず、陝西歴史博物館に持ち込んで断られ、その後、西北大学博物館に購入された。当初はその価値が評価されていなかったが、墓誌の中に「日本」という文字が発見されてから、大騒ぎとなったのである。日中外交にも微妙に関係してくるからである。その年の10月10日の空海入唐1200年の法要の折に、訪問団(平山郁夫団長)に公開された。空海のプレゼントなのかもしれない。ちょうど今から1年前のことである。

墓誌から次のようなことがわかる。祖国は日本で、生まれもっての才能があったゆえ、唐に派遣された。勉学に励んでいたが、不幸にも開元22年(734年)、正月10日、官舎で逝去、享年36歳であった。玄宗皇帝は大変遺憾に思われ、本人のために特別に追贈することを決められ、詔を下して、尚衣奉御を贈り、国として葬儀を行わせた。

亡くなってから、官位をもらったということである。それまでの経歴は一切不明。しかも尚衣奉御は従五品上でとんでもなく高い位置である。皇帝から何らかの意思が働いていたのではないか、と気賀澤先生は話されていた。当時の墓誌は7000位発掘されているが、井真成のような学生の身分での墓誌は初めてという。

多くの研究では尚衣奉御の職務内容が問題とされているようだ。この職務は皇帝の身辺の世話を担当する殿中省の衣服担当部局とされ、皇帝と私的関係の強いポストとされる。しかし、そうであっても死後に贈官されているので、いろいろと謎が多い。

皇帝に何らかの働きかけがあったと考えると、井真成と同期のエリート官僚阿倍仲麻呂の存在がちらつくのである。しかし、証拠があるわけではない。

733年(天平5年)、第10回遣唐使が派遣される。前回から実に16年経過している。翌734年10月蘇州から日本へ帰国。このとき、僧玄昉、吉備真備は帰国。 阿倍仲麻呂は帰国を許されなかったのである。これより8ヶ月前の2月4日、井真成は埋葬されている。

井真成は帰国船ともなる遣唐使船到着を知りながら、二度と祖国の土を踏むことなく客死していったのであろう。そして、阿倍仲麻呂はおそらく同期の桜であった井真成の死を送り、そして断腸の思いで遣唐使船さえも見送ったのかもしれない。なんとも切ない話ではないか。

井真成が西安で埋葬されてから、1271年後、彼が確かに西安で勉学に励んでいたことが記された墓誌が日本へ帰還した。ちなみに、彼が遣唐使に任ぜられたときの天皇は第44代元正天皇。草壁皇子の皇女であり、御母は天智天皇の第4皇女、元明天皇である。元正天皇は在位9年で、聖武天皇に譲っている。

そして、この夏、元正天皇から数えるに81代後の今上天皇、皇后両陛下に迎えられたのである。

ちょうど、閉館後の他の用件で東京国立博物館を訪れていた私たちは、両陛下にお声をかけて頂いた。水色の涼しそうなネクタイの天皇陛下、白と黒のツイードのスーツ姿の皇后陛下、ゆっくりと井真成の墓誌の部屋へと赴かれていった。どんなお言葉をかけられたのであろうか。

若き肢体で日本を出発した井真成は、長い長い時を越えて、墓誌に姿を変えて日本へ帰国、しかもその帰国は非常に公のものとなった。帰国できた遣唐使らの政治、経済、医学、文化などへの功績は大きい。しかし、井真成はまた違った形で私たちに今一度遣唐使や華やかな大唐帝国を思い出す機会を与えてくれたともいえよう。

墓誌の最後には「魂はこいねがわくは、故郷に帰らんことを」

東京国立博物館のパンフレットには・・・・・・「おかえり。」


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ノクターン 変ニ長調 作品27第2

1週間に1度、NHKスーパーピアノレッスンの時間がやってきた。モーツァルトの時から続けて見ており、現在はショパン。講師はヒデとロザンナのロザンナ似の(でも男性の)ジャン・マルク・ルイサダ先生。

今回はノクターン 変ニ長調 作品27第2であった。ショパンがこの曲を作曲したのは1835年、パリにて。久しぶりにポーランドの両親とも待ち合わせの場所で再会が果たせ、さらにマリア・ヴォンジンスカと恋に落ちていた頃である。「このノクターンは情熱的な感動を秘めながら、控えめな優雅さにあふれている」とテキストには記されている。事情を知らないうちにその曲を聴いても「優雅な満たされた気分」に浸れるのだから、やはり曲全体にショパンの思い入れが詰まっているのであろう。曲が作られたときの、作曲者の心境、背景を知ることは演奏する上で非常に大きいことが、年を経てからやっとわかってきた。昔はひたすら楽譜通りで精一杯だったな。

1836年、ショパンはマリアと婚約までこぎつけたものの、マリアの母親からの条件を果たせずに、婚約破棄に至ってしまった。夜11時迄に就寝すること、芳香のシロップを飲むこと、毛糸の靴下とスリッパを履くことなど4条。これらを守れなかった彼は、夜会での演奏などで体をこわしてしまったのである。ノクターンは早朝にはかけないだろうけど。

マリアの最後の手紙。

「美しい音楽帖のお礼を申し上げたくてペンを取りました。(中略)さようなら、私たちのことを忘れないでください。」

漫画で表現すれば、手紙を読んだショパンのバックはよっぽど悲惨に描かれることだろう。ところが、人生奇なるもの、この悲恋に打ちひしがれた彼へ猛烈アタックしたのが、ジョルジュ・サンドであったのだ。

心の中はマリアのことだけ。なかなかサンドのノアンへの館への招待を受ける気分になれなかったショパン・・・・。

その頃作られたのが、「スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31」

ルイサダ先生が、ここの、この音は「悲痛さを出すんだ!」とアドバイスされていたので、たっぷりショパンの感情にひたって弾くことにした。自分で弾いていながら、胸に響いてしまうのである。170年たっても、ショパンのメッセージは生きている。最近、体を折り曲げて、自分にひたりきって弾くピアニストも多いけれど、ルイサダ先生はきっぱりこう言う。「それでは、音が聞き取れませんよ!」「勝手にアレンジしてはいけません」

作曲家のオリジナル性、シンプルさを大切にするルイサダ先生の講義はとても勉強になる。この番組を見てから、自分の演奏法が変わったように思える。

「最後は間違えても自信をもってポーズをとればだいじょうぶ。拍手にかき消されてしまいますからね!!」なんて、おちゃめな先生なのである。

ポップスの寿命は長いものはまだ少ないし、聴き古されるものもある。これはその曲から得るものを吸い取ってしまったから。古典がいまだに聴ききつがれ、弾き続けられているのは、得るものがあるからである。作曲家と同じ境遇でないにせよ、それらの曲には聴く者の感情を打ち振るわせる、なにかの共通語があるからではなかろうか。




ジャン・マルク・ルイサダ氏の演奏。上記のノクターンは入っていませんが、スケルツォ2番が入っています。ショパンの心情を再現した演奏はすばらしい。大の映画好きで知られる、ルイサダ氏の演奏は表現力も豊か。ショパンの演奏姿さえ浮かんでくるようです。演奏後、オーディオに向かって思わず拍手を送りたくなります。









ショパン国際コンクールで、ブーニン以来15年ぶりの第一位を獲得した、ユンディー・リーの演奏をぜひ体験してください。優勝のときはこちらもとても感動しました。練習の厳しさはすごい。(ロシアの彼もよかったのですが)。彼の場合、表情も合わせて見たい。DVDのほうが迫力が伝わるでしょうが。

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黒方とカフェ

外は雨、中は黒方(くろぼう)の香り。うまく焚くと2、3時間くらいと言われるが、昨晩から断続的に焚いても結構もっている。途中、水で濡らしたりなどして。今聞いている黒方は鳩居堂が三条相公から伝授した宮中6種名香のひとつ。急激な冷えもどこへやら、香りとともに体も温まってくる。他に、梅香(春)、荷葉(夏)、菊花(秋)、侍従(冬)、落葉(冬)がある。どれも平安朝から変わらぬ雅な煉香である。

黒方とは決まった香りではなく、その季節をイメージしてつくった香りのことである。だから、名前は同じでも様々な香りがある。人それぞれの感性は異なるし、そもそも、調合法は秘伝とされているから、まったく同じ香りをつくるのは難しい。いかにまとめるか、焚き始めと終わりの香り、半年後、1年後にどう香るか、そこまで見通して作るので誠に奥が深い世界。

古典のものは貝香を多用する。大好きな人も実際に居るし、そうでない人も多い。まあ、海の香り、浜の香りなのである。いい香りの香原料ばかりでは名香はできないのである。人生、あざなえる縄の如し、のようなものだ。貝香は昔の貝と違う種類の貝のフタを使っているので、厳密には平安朝とまったく同じ香りではないのではないか。それでも香りを通じて、平安時代の人の好みや感性に触れることができる、これも新しい歴史観になりそうである。

黒方は6種の中でもっとも値が張り、15粒(正露丸より大きめ)で正価で1万円強也。四季を通じて使え、祝賀の時に用いるもの。高い!と思うけれど、よく考えてみれば、一粒の値段はカフェでケーキと紅茶セットと同じくらい?しかもひとりで。黒方は家族全員、もしくはその場に居る人皆で楽しむこともできるのである。なお、他のメーカーではもっと容量が多くて2500円というものある。でも、興味がある方は機会があれば鳩居堂の1000年変わらぬ香りを聞いてみてはいかがだろうか。基本形である。今は誰でも聞くことのできる宮中の香り。

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【伝説のお香 練香】練香 【六種の薫物】 黒方 8g 11,500円


【伝統の香り 練香】鳩居堂 梅ヶ香 筒入 45g 1575円 
家庭用として広く親しまれています。

2000円~ 3000円台の煉香 お手ごろです。


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温度調整機能で微調整が出来る電子香炉うつせみ  初心者の方におすすめ!煉香をのせて、電源をいれるだけでOKです。灰、炭、銀葉も必要ありません。管理人の愛用品です。沈香、伽羅をのせても、焚き始め、焚き終わりまでのさまざまな香りの要素、甘、辛、苦、酸、塩辛い、の微妙な表情の聞きわけがしやすい。現代の智慧の香炉をぜひお試しください。

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ドジョウインゲンの緑

午後からは、苔むした和風の庭をガラス越しに眺めるひとときがあった。小ぬか雨に濡れる庭はそれぞれの葉がしっとり濡れて、時折しずくがツーッ、したたり落ちる。反動で葉がはねる。西欧のガーデンであれば、花が雨に濡れてかわいそう、辛抱してね、と声をかけたくなるかも知れないが、和の庭はそんな憐憫の情は涌かず、ひたすら緑と共に潤う気分になる。

ガーデニングにはずいぶん時間とお金をかけた。夢中な頃は休みのたびに植木屋、ガーデニングショップへ足を運び、珍しいものを買いまくり、日々庭には新入りが増える。プロのデザイナーにも設計してもらった。ところが、いまやラティスは朽ちかけ、花もさびしく・・・・。しかし、デザイナーお勧めの宿根草はすべて残っているので、脱帽である。手をかけなくてもサバイバルな環境にもめげない種類を選定してくれたのである。雑草はあきらかに、住む人の体調に関係してくる。あまりに伸びてしまったときは、散髪してやってください。自分もさっぱりしますから。

最近は和の植物に魅力を感じている。華やかさより、シンプルさに。夏にセキショウを手に入れたが、今は冬支度に入り始めていささかわびしい。常緑樹の勢いには元気づけられるが、季節と共に姿を変えていくものも無常でよい。深く眠った後は、また新鮮な緑を見せてくれる。

緑といえば、帰りの駅で、若い女の子たちがくすくす笑っていたので、その視線の先を見ると「えっ??」スピード写真のカーテンの下あたりに緑が見えるのだ。よく見ると、中でしゃがんでその緑を箸でつまんでいる手が見えた。はたして緑は、ドウジョウインゲンのおかずであった。スペースの有効利用と言うかなんと言うか。ジベタリアンではなく、人目を忍んでの夕食は野暮でもない。

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沈香の手作りペンダントヘッド

沈香のペンダントヘッドを手作りしてみた。沈香という香木は木のようでいて木ではない。木が傷ついたり、病気になったときに生成される樹脂で、人間であれば、かさぶたと考えるとわかりやすい。水に沈むから沈水香、略して沈香。この日記を読んでいる人で沈香の塊の状態を見たことがある人は少ないのではないか。

きりで穴を開けても割れないように、密度の高い、固めのものを選ぶのがコツ。今回選んだのは、大きさは梅干より一回り小さいくらい。ねじれのある複雑なシェイプをしている。自然の穴があいているので、そのままテグスや鎖を通せるのが魅力である。

さっそく、ビーズ屋さんでキュービックジルコニアのダイヤモンドカットのとびきり光るものを選び(200円台也)、それと鎖を通すキットをそろえ、家に帰って5分で組み立てた。テグスを通して、ひょひょいと結び、さあ、できあがり!沈香の上にダイヤモンドがすまして腰掛けている。ミスマッチのようだが、香木はダイヤモンドとも比較されるので、あながち遠い仲でもない。

沈香は魔除けに一番。とあるサイキックな人は沈香を焚くと、邪が逃げるのが見えると言っていたから、このペンダントにもその力はあるはずだ。他の漢方香料は常温でも香るが、沈香は暖めたり、焚いたりすることによって香る。よって、体温で暖められた沈香もかすかに香るのである。できれば伽羅のペンダントヘッドを作りたいけれど、1グラム1万円なので~~。でも、ダイヤモンドより安いナ。しかも、ダイヤモンドより希少価値がある。正倉院宝物の名香木、蘭奢侍は今でも香っているという。

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風鈴演奏家

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音楽のカテゴリーではトンコリ、タブラトゥーラに続いて風鈴音楽が登場です。マニアックな楽器が続いていますが、先日は知り合いが属する、弦楽合奏団の演奏会にも行っています。これから特にコンサートシーズンですね。今度はコークレが聴きたいと思っているところ。えっ、コークレって何?北欧の古楽器。北欧バルトの神話に登場します。やはり、古くからの話、モノに興味があります。

ひょんなことから、風鈴演奏家よしだしんさんご本人から自作のCDをプレゼントして頂いた。

『風音Ⅲ 夢想う詩』 風鈴、自然音、シンセサイザーのスローなコラボレーション。

ジャンルは音楽療法CD。健康雑誌『壮快』でもその効果を絶賛、医学博士篠原佳年先生監修の『風鈴健康法CD』と『風音CD1~3』の4枚がパッケージとなって販売されている。

吉田さんは会社務め、ミュージシャン、インターネットビジネス、セミナー講師の副業、複業をこなす、超多忙で早起き、爽やかな青年、パパでもある。奥さまの春うららかなソフトな笑みもとてもすてき。こんな奥さまに見守られながらあの風鈴音楽も生まれたのだろう。今年の夏はお嬢さん(ピアノ担当)と共に演奏旅行という夢も叶えられた。

それらの副業収入がかなりの額になったので、もうすぐ独立されるそうである。最近はマルチな才能を発揮する人が増えているが、世の中全体的にそうなっていく傾向だそうだ。人は自分でも気づいていないたくさんの可能性を秘めているのである。

ところで、そのCD。聴いたとたんに脳の中で何かが反応しているのがわかる。干上がり硬くなったスポンジに聖水がそそがれ、徐々に元の大きさに戻っていく、そんな感覚であろうか。うるおった脳はゆっくりとリラックスしていく。

風鈴の音はf分の1のゆらぎと3000ヘルツ以上の高周波音を兼ね備えて、私たちにそっと語りかけてくるのである。その結果、アルファー波を発生させ、脳内ホルモンの分泌が盛んになる。心地よいと感じる音は、科学的に証明されるようになってきた。

暑い江戸の夏には風鈴がつきもの。エアコンなんてないから、窓は開け放して外の風が吹き抜けて、ついでにお隣さんやお向かいさんの打ち水の冷風や、風鈴の音もさまよいこんでくる。暑さを和らげる昔の人の智慧のひとつ。江戸風鈴の音は甲高くなくてやっぱり粋だ。南部風鈴はしみじみ骨にもしみる。

よしださんの風鈴は日本の江戸風鈴、南部風鈴、常滑風鈴だけではなくアジアのバーチャイム、南の島の貝殻風鈴や西欧の風鈴も含まれている。耳をすまして聴くき分けてみるのも楽しい。

今まで風鈴といえば、夏のイメージが大きく、晩夏になると片付けてしまう。最近では風鈴の音が気になる、とご近所を気にして、すぐにしまい込む家庭も多いような気がする。生活スタイルが変わり、昔より共有空間と個人空間の別を大切にする現代人は、確かに環境音に関する意識が変わってきている。静かにしていたい人、自分の音を聴きたい人などは風が強い日など、ひっきりなしに風鈴が鳴っていると閉口してしまう。

そんな現代、早朝でも真夜中でも、好きな時間に、季節に聞くことができる、透明な響きをもつ音楽療法CDとなって再び登場した風鈴の響き。昔の人の智慧と現代人の智慧がミックスされた音楽の贈り物である。

ぜひ他の作品も聴きたいと思っている。ただし、少々TPOの工夫がいるかもしれない。うちの家族はすることがあるのに、風鈴音と沈香の香りに包まれて、ゴロリ、コロリと気持ちよく夢の中へ移動してしまうのだ。香りと音、嗅覚と聴覚への同時アプローチは思ったより効果があるらしい。眠りは確かに深くなる。お気に入りの香りと風鈴ミュージックで秋の夜長をすごしてはいかが?

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