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ターシャ・テューダーの輝きの季節

日比谷花壇リース「システィーナ」

11月26日NHK総合土曜特集、午後7時30分~8時45分放送

「喜びは作り出すもの、ターシャ・テューダー四季の庭」

見たい見たいと思いつつすっかり忘れているころ、テレビをつけるとちょうど放映中であった。

この番組をみて、絵本でしか知らなかった淡いセピア色で平面のターシャの世界が、いきなりカラフルでリアルな立体の世界へシフトアップした。

コーギー犬のメギーが走る、花々がそよぐ、木々がざわめく、暖炉の炎が揺れる。

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を髣髴とさせる自然の美しさ。

  絵本の世界が命を持ち、本当に生き生きと動いている・・・・・・・。

私の特にお気に入りの絵本『輝きの季節 ターシャ・チューダーとこどもたちの一年』

  ねぇ、おばあちゃま、ママがわたしくらいだったときのことを話して。

  10月には収穫したリンゴでジュースを作ったわ。

テレビのなかで、ターシャの孫とその若くういういしいお嫁さんが動かしている大きなリンゴ絞り機はまさにこのページに描かれている装置だ。恐らく若きターシャに抱かれているあかちゃんが絞り機を触ろうとしている。かごいっぱいのリンゴとジュースを汲んでいる少女、そばにコーギー犬も。

   一年分のろうそく作りも、11月の仕事だったわね。

テレビのなかで、やはり孫たちとターシャが慎重にみつろうの液にひたしているのは絵本と同じ細長いろうそく。半年分で1000本をつくるそうである。

みつろうのろうそくは温かい香りがする。西洋の香り。

ハゼの実から作る和ろうそくのやわらかい炎は日本の色。

伝統的な手作りのろうそくの明かりはホッとする。

1915年、肖像画家の母、ヨットの設計技師を父に、ターシャはボストンで生まれた。社交界デビューを拒んだというから、あるレベル以上の階級に属していたのだろう。ところが、十代の頃両親は離婚、彼女自身は養う能力のない夫と離婚。子供たちを抱えてターシャは生き抜いていくのである。

絵の才能が彼女たちの生活を支えた。画家の才能ばかりではない。彼女は糸紡ぎ、機織り、裁縫、料理の分野でもプロ級の腕前だという。それは『ターシャ・テューダー手づくりの世界 暖炉の火のそばで』が物語っているだろう。たくさんの類まれなる才能と彼女自身受け継いできた智慧と彼女の新しい工夫により、子供たち、孫たちはすこやかに育ち、そしてバーモント州の30万坪の美しい敷地はゆったりと四季を重ねていくのである。

彼女はまさに今昔智慧の塊の存在である。彼女は画家であるがゆえに世に名を知られたが、彼女のような存在はまだまだ健在のはずである。

代々受け継がれてきた智慧を彼女は四季の行事などを通じて子孫たちに繋げていこうとする。

暖炉でつくるスローなローストビーフつくり。

  4時間もかかるけど、肉汁が染みわたっておいしいのよ。孫のお嫁さんが受け継ぐ。

  何百も球根を植えるのは大変だけど、春に美しく咲くのが楽しみ。

  でも、年をとってきたから、この庭は自然に帰すつもりよ。

  経験が一番の先生なのよ。

  想像力は心の糧。

  幸せを感じるかどうかは心の持ち方によるのよ。

      辛抱は大切なこと。庭造りも人生も同じなのよ。

              辛抱すれば必ず春は来るからね。

私たちも、

  降り止まない雨はない。夜明けの来ない朝はない。

といいながら、仕事などをやりぬくことがある。ターシャのことばは春のイメージがトータルに感じることができる。

  年をとっていいこともあるのよ。みんなが助けてくれるからね。

  この世には沢山のもの、美しいものがたくさん。

  喜びはつくりだすものなのよ。

今年はいつもよりたくさんの球根を植えよう。水仙、ムスカリ、チューリップ・・・・きっといつもより春が待ち遠しくなる。

センテッドゼラニウムのローバスレモンとレモンバーベナ、温室ではなく今年は窓辺に置こう。風に揺れるレースのカーテンに触れるたびに香るし、ターシャの微笑みを思い出すから。

  

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高野山の満天の星

ユネスコ世界文化遺産、高野山参拝。

和歌山は柿の名所である。買い食いしたあんぽ柿はほっぺたが落ちるほどにおいしかった。自然の甘さが体中の経絡をすばやくかけめぐって幸福感を伝達するようである。旅の疲れを溶かしてくれるホルモンが出るのだろう。

その柿色の夕暮れをバックに高野山が黒く鎮座しているのが見えてきた。とうとうやってきた。司馬遼太郎の『空海の風景』を読んだのはもう二昔も前のことである。

高野山へ行くことを考える前に、気がつけば西安郊外の広大な青龍寺跡に立っていた私。記念堂ができる前のこと。市内からバスを乗り継ぎ、乗り継ぎ、やっとのことでたどりついた。近くには工場。私たち二人の他は誰もいない。夏の終わりのうす曇の日であった。

阿闍梨恵果和尚と空海が1200年前に出会った場所。青龍寺についてはまたの機会に譲ろう。

そんなことを考えながら、高野山のヘアピンカーブをバスは容赦なく上っていく。右に左に体が揺さぶられているうちにあたりはすっかり墨色に。いつまでこのカーブは続くのだろう。

深い深い山の中、夜行性動物も動き回る時間である。昔、高野山では指パッチンをしたそうだが、それは虎除けのためだったという。

標高1000メートル近い高野山は金剛峰寺があるだけではなく、そこはひとつの町にもなっている。117の寺院、役場、病院、学校、郵便局、消防署、みやげ屋。奥に入るとスキー場や森林公園も。53の寺院は宿坊も兼ねている。

宿は普賢院。とりわけ施設がよいという評判だ。若き修行僧もおしなべて物腰が柔らかで、気さくである。階段に落ちている埃をささっと拾いながら案内してくれたのが印象的。きれいに掃き清められていても、人が通る限り埃は出るものだけど。

部屋は明るく、掛け軸が三幅もかけられ、調度品も重厚でとても寺院の中とは思えない。襖絵もすばらしい。宿坊のイメージを一変させられた。

精進料理はどれも繊細な味。やはり高野山のごま豆腐のなめらかさに舌はうっとり。永平寺のごま豆腐のこしと粘りとはまた違うのだ。肉魚はないが、ビール、日本酒は用意されていた。

誰もいない星降る夜の本堂前。ブッダガヤから持ち帰った石に足型が彫られている。息が止まるほど冷たくなっている。八角堂の前には大黒様。高野山には大黒様はつきものである。煌く満天の星を眺めながら静かな夜は更けていった。

お風呂も広く清潔でゆったりと入れた。冷えたからだが芯から温まった。

翌朝はそれほど寒くもなく、朝日がまばゆいほどであった。御焼香の後、仏陀の米粒ほどの舎利を拝めた。奥の院へ入る前は諸大名の墓石群。歴史上の人物の墓がひしめいている。ここは修行の山として開かれたが、今は20万基の墓があるという。信玄、吉宗、政宗、秀吉、信長・・・・。

奥の院の弘法大師御廟。手を合わせていると包み込むような大きなエネルギーが入ってきて、とたんに大きな呼吸ができて息が楽になり、すとんとリラックスした。墓石群を歩いているうちに胸が圧迫されていたのだ。確かにお大師様のエネルギーがあると感じた。

帰り道は有名企業の墓石群。アポロの形をした大きな墓石もあっった。

霊宝館は見ごたえ十分。高野山でははずすことのできないポイントである。空海の直筆の書と実際に履かれていたという草鞋をみると、いっそう空海が近く感じられる。DNAが検出できるのではないだろうか。

青龍寺から持ち帰ったという数珠。トンボ球と黄色いビードロ。大唐帝国の産物である。沢山の人の沢山の指紋がついているのだろう。

快慶の四天王。躍動感、安定感、迫力ある表情。間近にじっくり鑑賞できて贅沢である。

陝西省の玄奘三蔵の墓まで行っていながら、高野山へは行っていなかったな、という新鮮な感動を覚えた。

いつかしらそのに出られるのだろう、とうっすら思っていた。

時期が来たら空海に会えるということ。自然な流れに乗って。

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土屋鞄・手作りランドセル

本当にこの場所でいいのだろうか。

倉庫街の中に目的地らしいその建物はあった。駐車場には複数の車。小さな子供たちも出入りしているので恐らくここでいいのだろう。

これは土屋鞄 との懐かしい出逢いの日のことである。

デパート等で複数のランドセルを手に取ってみたが、えらく高級品であったり、おすまし顔であったり、どれも作った人のぬくもりが伝わってこなかった。使用者にとっては一生に一度のランドセル、そして当然のことであるが毎日毎日の使用に耐え、しかも匠の「気」の入ったものが手に入れたかったのである。

できるなら、匠から直に説明を受けて、売ってもらいたい。そんな気持ちから製作所兼販売所へ足を運んだのであった。

倉庫のような建物に入ると、昭和の電灯と匂いが残っているようだった。めいめいランドセルを手にとりながらお店の人の説明を受けていた。

その奥に広告に載っていた土屋鞄製作所主宰の匠、土屋さんがいらした。

落ち着いた瞳の奥に確固とした自信と審美眼の光。マイスターの眼差しはブレがない。カメラのピントがしっかり合った時の気持ちよさを感じる。

納得がいくまで調整する、究める、きっとそんな仕事をしておられるのだろう。

製品が並んだ奥の工房では、職人さんたちが各々、ミシンをかけたり、各パーツの処理をしているのを間近で見学することができた。この淡々とした雰囲気と張り詰めた緊張感がまたいいのである。

この人たちの作品なら安心して使える。つくりのよさはもちろんのこと、心がこもっている。

手にしたランドセルは丹精に作り込まれ、あくまでもオーソドックス、ランドセル用に開発された上質な牛革、総牛革ボルサのつやけしはなめらかでずっと撫でていたいほど。使い心地もよいらしい。

いろいろと説明を受け、質問にも答えて頂いて、商談成立。作り手から、しかもその工房から購入できたのは印象深い。数年後、二つ目もここでお願いした。

傷はほとんどつかない、型くずれもない、雨にも強い、ホントに頑丈。6年経ってもぜんぜんへこたれない。登下校のお守りでもある。匠の方たちに感謝である。

役目の終わったランドセルは望めばミニランドセルへ生まれ変わらせてくれるという。

ランドセルばかりではない、他の革製品のすばらしいこと。大量生産ではないひとつひとつの心のこもった手作り。昔は当たり前だったことが今では贅沢のひとつ。ブランドにこだわらない、自分がよいと思ったものを持つ喜び。そして、使い捨てではなく大切に長く付き合う。ある意味でスローライフでLOHAS( Lifestyles of Health and Sustainability )な買い物なのではないか。

財布、キーケース、定期、名刺入れなどなど、ここの製品を愛用している。ブランド名も何も入っていないシンプルなデザイン。手触りも気持ちよいが、作った人の顔を思い出せるからよけいに大切にしたくなる。思いをつのらせつつ、少しずつ買い足していきたい。

熟練の匠から丁稚へとその技術と智慧は受け継がれていく。たった一人で始めた土屋鞄、今では未来の匠を目指す若者たちが日夜汗を流しているのだ。

いろいろな世界でマニュアル化が進む中、手作りの世界はやはり人間の温かみと厳しさの中で伝えられていくものなのである。

頭で覚えるのではない。まさに体得していく世界。マニュアル化できないその聖なる部分に人はぬくもりを感じるのだろう。

テクノロジーではなく、アートなのである。アートに人は心を動かされる。

ぬくもりあふれる土屋鞄 の製品は今昔智慧Seekが自信を持っておすすめできます。

【ランドセル】総牛革ボルサ

[商品番号] BO0101REN [価格] 38,000円 [サイズ] 高さ30cm×幅24.5cm×マチ幅19cm [重量] 1200g前後 [素材] 牛革ボルサ

以下、画面をクリックすると詳しい情報を見ることができます。

ヌメ革名刺入れ

ヌメ革 帯付二折財布 

ロウ引き ダレスS

ソワ ギャザーショルダー(TVドラマ『電車男』に登場!)

Plota防水キャリアトート

ライノ フレームポーチ

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プレミアムしょうゆ

縁あって、期間限定販売のしょうゆを頂いた。

亀甲萬(キッコーマン)の「杉桶仕込のしょうゆ」れんが蔵製 250ml

「本品は国産の原料のみを使用し、年一回、秋十月に仕込んで自然の気候の中で一年間かけて熟成させた当社の伝統と技術の結晶です。」

ラベルには遠く富士山をバックに上半身裸で、大きなしょうゆ樽を手作りしている古の職人。

千葉県の野田工場のレンガ蔵の中の杉桶でしかできないしょうゆ。

先に書いておこう。このしょうゆ、一部は高級料理店へ納入され、野田工場へ足を運べば一般人にも手に入るが、数が少ないこともあり、発売後数時間で完売。というまぼろしのプレミアム商品だそうだ。

開封し、かなり期待しながら、まずは香りをかいでみる。しょうゆに砂糖を溶いてもちに塗って焼いたような甘く香ばしい香りがした。おいしそうなものはもちろん、毅然としているが奥ゆかしく上品。

青い椿の花模様の小皿をとりだし、一滴そのしょうゆ。しょうゆはムラサキとも呼ぶが、一瞬透明感のある赤紫がお目見えした。清澄な色である。

香り、色、と確かめて、いよいよ味である。

甘い。舌に染みこむその甘さは天然の微細さが感じられる。甘さの後ろに塩辛さ、ほんの少しの苦さ、やわらかいすっぱみも加わり、いわゆるバランスのとれたうまみあふれる丸みなのだ。甘・辛・苦・酸・塩の五味が調和している。

天然自然のなせるワザである。3種類の微生物、麹菌、乳酸菌、酵母の三位一体の作用により、しょうゆらしくなっていく。

しょうゆだけ何度も味見したくなるなんてよっぱど珍しい。普通はしょっぱくってギブアップだ。調理のときに砂糖やみりんを減らすことができるのではないだろうか。

調味料には気をつけるほうなので、結構高値のしょうゆも購入しているが、味という点ではこの杉浦仕込のしょうゆは最高ランクに5つ星である。皇后様のご実家の正田しょうゆも手に入りづらいが好みである。

外国にある程度の期間いると、しょうゆが恋しくなることが多い。タヒチのマヒマヒという味の薄い白身の魚、しょうゆをかけたらもっとおいしかっただろうに。

日本の空港に戻ってくると、しょうゆの香りがする、という意見がある。日本の香りの代表的なもののひとつであろう。

日本の味噌、醤油、酢、酒はまさに醸造文化、微生物との共生の智慧でもある。

これからもずっとお世話になるしょうゆ、もっともっと知りたくなった。

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インディアン伝承シャンプー追記

以前、インディアン伝承シャンプーについて記事を書いたが、具体的な髪の毛の状態を記載していなかったので、少々追記してみよう。

別に特別な髪の毛の問題を抱えているわけではなかったのだが、将来をみすえて髪によいシャンプーを探していた。

使用してから半年くらいになるだろうか。気づけば生え際の髪の毛がツンツン勢いよく伸びている。あきらかに伸びがよい。分け癖が気にならなくなり、なかなかよい生え際になってきた。

それから、抜け毛がかなり少なくなってきた。季節的なこともあるかもしれないが、以前の半分くらいの量に感じる。長いと量が多く見えてしまうのだが、それも気にならない。

髪を活性化するマイナスイオンドライヤーも効いているらしく、髪のパサパサ感も減ってきた。ウソだと思ってまず使ってみなさい、ということでマイナスイオンにかえたのだが、やはりいい。

ちなみに、リンスは本当はインディアン伝承リンスがいいのであろうが、普通のリンスを使っている。リンスは地肌にはあまりよくないと聞くが、使った方がブラッシング時の切れ毛トラブルは少なくなると思う。

今購入すればインディアンの知恵入り!洗髪秘伝書プレゼント!! してもらえる。特製のブラッシングは使いやすく、重宝している。

振り返ってみるに、小学生の頃から長きに渡ってシャンプー・リンス・コンディショナージプシーをしてきたものだ。一種、実験的な経験でもある。

あるときは色・香りに誘われ、そのうちうたい文句に期待をかけて、美容院限定のプロ用のものを購入したり、値段にかけてみたり、どのくらいつぎ込んだのだろう。

アミノ酸シャンプー、これは3000円以上は出したい、と美容院の人に言われる。インディアンシャンプーと同じくらいか。

てんぐさで洗って、酢のリンス。これは髪の毛が脱色された。

石鹸シャンプー。無添加はよいし、体にはいいのかもしれないが、髪の毛の状態になじめず長続きしない。途中から洗濯洗剤に変身してしまうのだ。結構、洋服の汚れがとれます。

リンスインシャンプー、発売当初は便利で使ってみたが、髪質が変わって茶色くなった。

有名なアレッポの石鹸を髪の毛にも使ってよい、というので試してみたが、使い始めはゴワゴワになるが、馴染むと柔らかくなるという期間には辛抱できなかった。現代人の髪の毛・地肌は化学薬品で変化しているので、自然の石鹸になじむにはかなりの期間を要するというのである。

親の世代はモノ不足で、シャンプーなんて特別なものはなかった。固形石鹸で洗っていたという。だいたい、洗濯石鹸も固形石鹸しかなかったので、粉石けんが出たときは感激したそうだ。なにしろ、ごしごしもみ洗いしなくても、つけておくだけで汚れがおちる。新鮮な喜びだったのだろう。

いまや、洗剤選びも枚挙にいとまがない。その一方、皮膚トラブルも多い。高校のとき、手が真っ赤にはれ上がり、ごわごわになっている友人がいた。おそるおそるワケを聞くと素手で洗剤ブクブクと衣類を洗っているという。

そんなぁ、ゴム手袋を使えばいいじゃない。

感覚がにぶるから、これでいいの。

気の毒な手であった。

今はいろいろな洗浄方法が出てきた。海外初の新しい洗剤、洗剤いらずのスポンジ、超酸性水、EM菌などなど。

最近は、洗濯ボールの進化版、ランドリーリングも出てきて、興味を持っているところ。友人もかなり満足度が高いらしい。そのうちきっと買う、かな。

髪の毛も特殊な水をサーッとかければ、ふんわり清潔になればよいのに。地球の水を汚さないために、研究者は日夜智慧をしぼっているのであろう。

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翡翠のあたたかみ

鉱物はアメジストしか書いていなかった。次はどうしても翡翠

あるとき、心の中へ「こうこうこういう形、色、大きさで、この値段の翡翠のペンダント」というイメージが飛び込んできた。でも、どうやって手に入れたらいいかわからないので、パワーストーンなどを扱っている知り合いにすぐに電話を入れた。

「それだったら、鉱物ショーに行ってみたら?」

とアドバイスして下さったので、さっそく調べるとそのショーはもうすぐ開催、という時期であった。ジャストタイムである。

池袋のサンシャイン60だったか、ものすごい人の波。酔いそうなほど。しかもそれを上回る世界各国の鉱物のラッシュ。どれを選んでいいか、皆目わからない。ところが、買うものは決まっているので、ひたすらその色、形、大きさ、値段を探すのみ。糸魚川の翡翠にも魅かれるが、いやいや、これは大きさが違う。

複数のお店に聞いてやっとたどりついた翡翠専門店。ミャンマー人を研磨に雇っているという。ショーウインドウの中には・・・・ありました。その色、形、大きさ、値段。ちょっとお勉強してもらってジャストの値段になった。スバラシイ。

明かりに透かすと、血管のように模様が浮き出る。なんてあたたかみのある石なのだろう。

店長は自分が下げている色艶のよいネックレスを指して、

「これ譲ってもいいわよ。お金が入るようになるから。60万円だけど30万円にしてあげる」

残念ですが、ご遠慮しました。

それからその翡翠はずっとハートチャクラを暖めてくれている。ぬくぬくと。どれくらい助けになったことだろうか。

そもそも翡翠といってもいろいろで、軟玉と呼ばれるネフライト、これは中国で昔から工芸品などに珍重されていた。硬玉と呼ばれるジェードがいわゆる本翡翠。ミャンマー(ビルマ)産、日本産などがあるが、日本ではこちらが主流である。糸魚川の翡翠が特に有名。古の昔から勾玉などに加工され、時に権力の象徴ともされていた。

中国では第一婦人に翡翠、第二婦人にダイヤモンドを贈った、というように翡翠の方が格が高い時代があった。五徳(仁・義・礼・智・勇)を高めるとされる一方、商人は商いの成功のために翡翠を手に握ったという。

ギリシア人は眼病に効くと信じ、アメリカインディアンは腎臓病の治療に使ったという。

その他、不安と恐れを開放、人間関係改善、精神安定、魔除け、護符、幸運の石、安眠、忍耐力を養う、ともいわれる。あの世とこの世を橋渡しする石でもあるので、儀式に使われる。だいたい誰でも受けいれることのできる石でもある。

最近はミャンマー産より、糸魚川産で日本人の研磨によるものをよく身に付けている。実演販売でコミュニケーションある買い物である。ミャンマー産の色合いとまた違った趣があり、落ち着いた色である。といっても、色のバリエーションは豊富で白・黄色、緑・青・ラベンダー色。それぞれ、効果も違うらしい。

だいたい白人は白っぽいものを好み、日本人は色の濃い方が価値があると感じるらしい。お店でも「あらぁ~もっと色の濃いのはないのかしら」なんて聞くこともある。

実は翡翠本来の色は白色で、翡翠輝石に鉄やチタンなどが混入した部分が緑や青に変化し、それをオンファス輝石という。オンファス輝石が純化したものを翡翠輝石という、など化学的な説明はわからないが、翡翠という名称も幅が広い、と思った方がよい。

日本人の閉鎖的性質をカバーするという情報もあるが、それはまず身に付けて自分で体感するのがよいだろう。また、それぞれのTPOにあわせて、直感で身に付けていくものを選ぶのがよい。

そういえば、今日はミルキーなラベンダー翡翠を身につけていた。この色は愛と美と安定性を放っているそうだ。安定性と、さりげないやさしさ、という感じがする。

糸魚川に翡翠探しに行ってみたいものだ。

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