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スカラベと金印

上野の国立博物館へテクテク歩いている途中、時間がないと思いつつも右へ緩やかにカーブし、両足は階段を下りていた。

大英博物館 ミイラと古代エジプト展 

来週までか。え? 事前予約?何、本日チケットあります?

まぁ、いいや、と軽い気分でチケットを買う。以前、2ヶ月限定のぐるっとパスを買って結局ぎりぎりもとを取ったくらいで過ぎ去ってしまったので。

それにしても、以前は500円玉でおつりがきたのに、改築して特別展を開くようになってからはぐっとお高くなった。ミュージアムショップはフリーパスだったので、展示は見なくても時より立ち寄っていた。鉱物など質のよい掘り出し物があったのだ。それも今では入場料がないと入れない。

入場すると、シアターを見る人の長蛇の列である。見ない人は中の係りに言ってくださいということだったので、その旨伝えると、

「ご覧にならないと、半分は過ぎてしまうことになりますが・・・」

システムがよく理解できていなかったのだが、とりあえず入場者はシアターでスクリーンを見ながら一通り説明を受けて、それから実際の展示室へはきだされるらしい。シアターの時間を前もって調べてきている人ならいいけれど、行き当たりばったりの人は待たされる。チケットを見たら「混雑状況により万一入場できないときはご了承ください」と書いてあるので、これでは見たい人は「半分」損することになるのではないか。

座れるまで10分、始まるまであと10分。上映時間は30分。そんな余裕はないので、先を急ぐと、今度はシアターの中を通らないと次へ行けないという。真っ暗な中、まるでコンサートに遅れたオーディエンスのように懐中電灯に足元を照らされながら次の間へ出た。

他の美術館や博物館のように独立した開放系のルームで映像を流しっぱなしにするなど、もう少し工夫してもよいのではないかと感じた。これでは何十分待ちかのアトラクションのようである。

展示は古代エジプトの死後の世界観、動物は神の化身、という当然のことながらミイラ関係の題材が多い。器の説明はまあわかる。しかし、香料などは固有名詞さえも明記していない。臓器はいいとしても、その他入っていたものを想像できれば、さらに現実味が増すのに、と思いつつ。そのため、詳しい映像を見てもらうのかもしれないが。

最近は先端テクノロジーにより、ミイラを損壊しなくてもかなりのことがわかるようになってきたという。だから、内部の骨の写真など今までにはない展示方法だったと思う。麻の包帯の上にスカラベがのせてあり、これは文字や絵で見るよりわかりやすい。昔の人は模様や鉱物や絵文字などで魔よけや願いをどうにか通じさせようとしていたのがわかる。

ミイラのこの時代で、殷の前の夏文明よりさらに古いのだから、エジプト文明の悠久さに気が遠くなる。彼らはどうにかして遺体を完全に保とうと四苦八苦した。ミイラ作りにも上中下があるものの。先日のテレビではツタンカーメンの左足の怪我について検分していた。時代は変わったものだ。

さっと科博をあとにして、メインの国立博物館の「悠久の美」に行った。2003年に北京市内の中国歴史博物館と中国革命博物館が統合して生まれた、中国国家博物館の生え抜きの所蔵品だそうだ。歴史博物館は何度が足を運んだが、広くて一度ではまわれない。スポットライトなどなく、その日の天候に左右される自然光。人もほとんどいなくて、ゆったり見ることができた。展覧品も普段着の顔でざっくばらんに並んでいる。

ところが、今回特に感じたことがある。青銅器が磨きこまれているのだ。最近の文化財保護は進んでいるから、いろいろな過程を経ているのであろう。高級古美術である。

今まで見てきたのは緑青や土ホコリもかぶっているような、出土品の履歴を感じさせるものであったが、超およそゆきでピカピカである。なんだかさびしくもあるが、これは使っていたときの生き生きとした一面も見ることができるような気がした。

今回、厳選した61点ということであるが、確かに歴史概説書に白黒で掲載されているものが多い。その筋の人が見れば、スゴイ、というものが来ている。今まで見たことがあるものもあるかもしれないのだが、こう磨かれてスポットライトがあたっていると何割り増しかに見えてしまう。

先史時代から漢代くらいまでの見所は、まずは渦巻き模様であろう。縄文やケルトも髣髴とさせる、ぐるぐる模様は次第に複雑に、時に四角張っていろいろなバリエーションに進化していく。説明書きに神霊の霊気を表しているのか、とあった。羊や牛やトラの体にまで模様があるのは、いろいろ意味があるが、昔の刺青も思い出す。現代アートにまでつながりそうである。

先ほどはミイラの保存科学を見学したが、中国ではまた死後の世界観が違う。金縷玉衣の中は確かに密閉性が高く、数百年は生きたままを保ったと言われているが、2000年はもたなかった。遺体は土に返って、魂は天に上る。古代エジプトとは考え方が違う。始皇帝はこの方法で埋葬されていると考えられている。この金縷玉衣は三国時代魏の曹操によって、禁止された。ずっと禁止されていなかったら、曹操や玄宗皇帝の金縷玉衣にもお目にかかれたかもしれない。

形は漢代までは非常に写実性を追求している。兵馬俑など、モデルに生き写しなのだろう。犀尊はすばらしかった。この質感、重量感、2000年以上の時間など吹っ飛んでしまう。

戦国時代の曽侯乙墓出土の大尊缶(だいそんふ)は想像していたより、ずっと大きかった。高さ124センチ以上。なみなみと酒が入っていたのだろうな。曽侯乙について書いたら長くなる。今も音が鳴る巨大な古代楽器が有名だ。それを奏でていた楽人たちは殉葬されてしまったけど。

そばの白髪のおじいさんが「やっぱり、酒だね~昔から酒は欠かせないんだ!」なんて話していた。

で、どんな酒?なんてその先までは考えないのかも。中に入っていたものの説明には一切触れず。酒の種類の名前は確かに見たこともない漢字ばかりだし、この先書くこともない字だから、ここにもあえて書かないけれど、確かにその時代の酒が入っていたのだ。

やっぱり酒だね~なんて言われても、その時代は3人以上でお酒を飲んだら罰則だし、酒を飲めるのは特別の祭祀のみ。許可制なのだ。

殷の酒池肉林の逸話も思い浮かぶ。日にちがわからなくなるまで飲み続けたという。

発見された酒酵母で一番古いのは殷代。液体としては漢代の酒がつい数年前に発見されている。ビンテージどころではない。

出土品中心の展覧会で面白いな、と思うのはそれぞれの人がそれぞれの関心事で見ているということだ。その日は高齢者の方のご夫婦が多かった。大部分がなんとなく、興味があるから、と新鮮な驚きがあって、その素朴な感嘆の声がこちらも新鮮に聞こえたりする。

古美術関係の人も多いと思う。目が目利きなのだ。なめるように見回している。ただ、古美術店に行って一番困るのは出土地と出土年代がわからないこと。わかっていたらそこにない。最近は盗掘品が増えている。形によって時代はある程度特定できるものの、保証はない。この分野では、時代や時代背景より、色、形、状態の方が興味があるのだ。

歴史系の専門家は特別枠だったり、あるいは生徒やカルチャースクールの方と時間外に訪れる方もあるだろう。

漢代以降は、陶器などはデザイン性が高くなり、小型化し、金銀細工は非常に技術的になっていくる。祭祀とは離れ、貴族などの嗜好品の一種、美術品化していく。

雲南省の祭祀場面貯貝器(前漢)は圧巻であった。子安貝などを入れる円筒形の青銅器で、32センチほどの円形のフタの上に、なんと合計129人のミニチュアの人間と動物が乗っているのだ。3Dの祭祀場面であり、まあよくもここまでぎっしり作ったものである。ガヤガヤとざわめきが聞こえてきそうだった。ここの王は戦国楚の出身だから、どこかしらにその文化が残っているかもしれない。

そうそう、この国王が漢王朝から授かった金印(上に蛇がとぐろを巻いている)が、かの有名な倭の奴国の王に授けた金印(福岡市博物館蔵)とそっくりなのである。駱駝や亀を基本とする漢代からすれば、この二つの僻地の国王に送った金印の共通性に何かのなぞが隠れているらしい。後漢と倭の関係は詳しくわからないだけに興味深い。戦国時代に滅びた国の言葉が日本で生き伸びていることも確かにある。

金印については小学校でも教えるけれど、「もらった」「ふーん」「金だ」で終わってませんか。

これは、中国の内陸の洛陽まではるばる朝貢に行って授かっているのだ。日本で授かったのではない。

鑑真の時代でさえ、日本へ来ることはあんなに大変だったのに、それより700年前に、日本のクニは争うように後漢の後ろ盾を得ようと、大陸へ渡っているのだ。もっとも鑑真の時代は制度の都合により、海流に逆らう時期にわざわざ出航しているのが問題だが。

つらつら時代背景や出土品の使い方を考えたり、あれとこれは共通点があるよね、新たな発見があったり、充実した時間を過ごせた。過去とはいえ、そこから得る智慧は計り知れない。史実の他にもあの完成度の高い出土品に出会って、インスピレーションを得るクリエイターがいるかもしれない。でも、人の歴史とは変化があった面も退化した面もあるし、全然変わっていない面もあるのが面白い。

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