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ふたつの油滴天目

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先日、東京国立博物館の常設展を見に行こうと、入館したら「30分待ち」

これは大徳川展の人気である。こんな看板は初めて見た。この日は入る予定がなかったので、念願の庭園へ足を踏み入れた。鎌倉の匂いがする。そんな古い建物群にほっとした。

常設展では、主に仏像の特定部分を調査中である。東洋館は貸しきり状態に近く、ゆったり見ることができた。西安の宝慶寺がここまで多く収蔵されているとは思わず、大きな収穫あり。何点かスケッチできた。

再び、東京国立博物館へ。今度は開館前にと、がんばったが、すでに切符売り場も人だかり。パスポートが切れていたので、急いで購入して、これで50人くらいは桂馬とび。

と・・・今度は平成館の前に、数百人の行列!まだ9時半になってない。すごい人である。団塊の世代が8割ぐらいだろうか。

15分ほどでどうにか入館。初めは3重の列くらいで、11時過ぎには満員電車で前は何も見えなくなった。

出てきたときは、すっ、すごい人、人、人!これは、ディズニーランドもロックコンサートも顔負け?くねった蛇のような行列。

「70分待ち」の放送。ア然。長年通っているが、ここまでのは初めて。

そんなに寒くない日ならよいが、高齢の方がずっと外にこの時間立ち尽くしているのは難儀ではないか。

出品目録も品薄になってしまったようで、お願いすると、奥の方から出して頂けた。あまりの大入りに印刷が間に合わないのだろう。

混雑に驚いているのはこのくらいにして、どうにか見て来た感想。

とにかく展示数が多かった。甲冑から家康のめがね、靴下、和宮の婚礼調度まで。

南蛮胴具足や刀に人だかりができていたが、興味があるのは伽羅と古文書。

伽羅は大きい!以前、その3分の1くらいのものを触らせて頂いたことがあるが、手のひらの上の家? 値段はつけられないが陳列品の中でも上位の価値があるだろう。家康はシャム王に何度も沈香、とくに伽羅を譲ってほしいと手紙を書いている。蘭麝待は伽羅ではないから、この大きさは格別である。黒光りが重厚だった。

その伽羅も焚いたと思われる、金銅獅子鈕香炉には当時のままの灰が残っているという。宋代の復古主義らしい作品だ。家康は寅年だが、獅子を選んだのも美意識とその格なのだろう。

『大日本史』は学生の頃に学んだが、光圀の校訂の朱文字入りの草稿があった。これは貴重である。熱心さが伝わってくる。

朝鮮版の『李太白詩』。ちょうど賦のページだった。賦は『漢書』芸文志によれば「歌わずして誦する、これを賦といふ」とある。旋律に寄らない分、修辞的表現の発達がみられるようになった。

形と音と義とを組み合わせて構成していくもので、相当技巧的なものが必要。職人芸なのである。表面的には美辞麗句を言っているようでも、皇帝などに対する風刺性がわからないように込めてあるところがミソ。

このところ賦にはまっているので、嬉しい。やはり司馬相如のがいい。使いこなす言葉が本当にすばらしく、しびれるのである。こんな表現もあり、こんな漢字の使い方も組み合わせもあり。日本語訳をたくさん読めば、少しはセンスがつくかも。

明版の『戦国策』にも出会えた。斉国のページだった。演習で発表したのを思い出す。徳川家はこれらの書も読んでいたのだ。

などと思いつつ練り歩いていると、斉昭所有の龍笛があった。若干太く見えたがどうだろうか。ケースもシンプルですてきだった。

曜変天目(油滴天目)茶碗があった。四方から見ることができる。このあと、三井記念美術館で、安宅コレクションを見に行く予定だったので、目を皿にして記憶しようとした。肉眼でどう違うのかと。

姫宮のみやびは、圧巻であった。ここは女性の園。皆動かない。究極の婚礼調度品である。着物の色彩は現代のものかと思うほど鮮やか、八千代姫の人形能面、百面には目を見張ったし、和宮の六玉川蒔絵袖机はとてもチャーミング。

美の求道者 安宅英一の眼 安宅コレクションへ

1975年、日本橋三越で開催された「中国陶磁名品展 安宅コレクション」の目録はすでに持っている。お目当ての写真一枚のために、古書店で探し当てたものだ。

安宅商会は1977年に終焉を迎えたので、その2年前の展覧会ということになる。国宝に指定されている「油滴天目茶碗」は意外や意外、なんと後ろのページで小さく白黒写真だった!

油滴天目は主に福建省の建窯で焼かれたもので、漆黒の釉面に小さな結晶斑が一面に浮かび上がり、銀色に輝く。結晶斑は焼成中、釉薬にできた気泡が破れて、くぼんだところに鉄が入り込んでできた結晶である。天然の偶発的な美しさがある。

浙江省のあたりに天目山という山があり、宋代にそこの禅寺で修行した日本の僧がみやげに持ち帰ったところから、天目と呼ばれるようなったという。

安宅コレクションの油滴天目は南宋、徳川のは金代の作。形は安宅がシャープで秀麗、徳川は温かみのある安定感。安宅が国宝になったポイントは、結晶斑の豪華さ、鮮やかさ、華やかさだそうだ。これが、自然のなせるわざである。国宝のほうが、確かにくっきりとして、内側はまるで銀色に光る雪がだんだんと積もっていくかのようで、バランスがよい。いつまで見ていても飽きない。一日のうちに比べて見られたのはラッキーであった。

加彩婦女俑はあっぱれな存在感。出土物に慣れている私には眼からウロコであった。美術品なのである。非常に写実的で、表情も豊かだ。とりわけ、後姿がまさにそこにいるふくよかでなまめかしい貴人であった。陳列の都合上、なかなか後姿を見ることはできないのだが、ここは四方から見ることができたので、満足。

青磁は重要美術品にもなっていないが、官窯の八角瓶が光ってみえた。色もつやもすばらしい。

汝窯に興味を持った。日本には4点しかないという。やはり、官窯なのか。

一対の白い梅瓶には、つまみのある蓋がかぶさっていた。なかなか蓋にはお目にかかれない。蓋つきだと、なんだか荘厳に見えるものだ。

直径50センチはあると思われる、明代の堆朱蓮池鴛鴦文輪花盆、これには非常に驚いた。「いい仕事してますね」というあのことばが聞こえてくるようだ。堆朱は刻みの鋭角感があまり好きではなかったのだが、このまろやかさ!これぞ完璧。

青銅器は卣がひとつのみ。他のもぜひ鑑賞してみたいものだ。一番見たいものがなくて残念。大阪に行った折に寄ってみたい。

安宅英一は1901年、1月1日に裕福な家庭に誕生。中華人民共和国成立の1949年、母が英一の誕生日である1月1日に、父が2月に亡くなり、翌年には妻が亡くなっている。彼のコレクションはその翌年に始まっている。何らかの心境の変化があったのだろう。

クラシックのパトロンとしても、日本を代表する審美眼の持ち主としても名を残した。

とにかく、物でも人でも一流と付き合う、というのがポリシーだったようだ。人の一流は才能や技術だけで語れるものではないから、なかなか難しいところ。

古美術店の方に、「審美眼を磨くには、まずは一流を見に行くこと!」と言われている。今回の安宅コレクションは中でも群を抜くであろう。

今までの既成概念が外れたところがあるような気がする。つまり、いいものを見ていなかったのだ。いつもは、歴史的価値を第一基準にして、出土地があいまいなものには興味がなかったのだが、それだけでは匠の技は理解できない。

最近、春秋時代の封泥を手に入れた。レプリカより安いからこそ、本物だと。まー、真偽はどうであれ、字は合っているのだから、いいのである。コレクションしそう。

そこのご店主は中国で模造品工場を見学したことがあるそうだが、びっくりするほどよくできているそうである。瓦当も絵が描いてあるのがいい、という人がいるのでそれを仕入れてくるそうだが、こちらは漢字が書いてある方が面白い。書いてある字からその下にはどんな人が住んでいるか、推定できるし。

ある瓦当は特定の宮殿にしか使われていなくて、みつかることも滅多にないはず。だいたい、9割は偽物というから、値段も安い。こんなきれいな形でみつかることもないはず。

でも、美しい、と思う人もいる。これは古美術を超えている感覚である。

ともあれ、いいものは心に訴えるものがある。脳波も変わる。

昔は、限られた人にしか縁のなかった一品に、今は誰でも会えるのだから、平和な時代である。

青白磁の皿と天目のような茶碗がほしくなった。安くても愛でたいものだ。

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フルートレッスン

幸運なことに、NHK交響楽団のフルート奏者である甲斐雅之さんに、子供がレッスンを受けさせて頂いた。

もう、スケールを聞くだけで癒しの風がふーっと吹いて、風通しがよくなった気がした。

プロ中のプロの音色はやっぱりすごい。至近距離で、しかもプライベートレッスン。

音は耳で聴くのではなく、身体全体に響く、と思う瞬間である。

甲斐先生は、ステージマナーがすばらしいことでも知られている。

家人が、写真を見て、「ヨンさまに似てる・・・」

なーるほど。言いえて妙。これだけで雰囲気がわかるような。N響のヨンさま?

説明もとてもわかりやすく、生徒も腑に落ちた様子。音が格段によくなった。

「自信を持って吹いてね!」

このお言葉が、かなり効いたらしい。しっかりした音になってきた。

フルートは管楽器の中でも難しく、人によってこれだけ音が違う楽器も少ないかもしれない。

私も、息を吹き込む角度も早さも強さも、そして温度も!自己流だった。慣れるまではまだまだ時間がかかる。

先生のフルートは、ムラマツの14K。見るからに楽器の宝石。

ムラマツの音はやや暗めで、日本人好みとよく聞く。実際、私も試したことがあるが奥行きがあって落ち着いた音だなと思っていた。地に足が着いた音というか。プロが吹いたら、幽遠な音が出るのかもしれないと。

先生の音は、温かみ、深み、奥行き、優美さがあり、包まれる感じがする。ムラマツの奥深さをすべて駆使し、新たなるご自分の音を紡ぎ出しているのだと思う。

楽器は奏者によって、どんどん進化していくのでしょうね。

ヤマハ、パール、三響、ミヤザワ、ムラマツ、アルタス、パウエル・・・皆、試吹したことがあるけれど、すべてその個性がある。

三響はヨーロッパ的で華やかな音で特に印象的だ。この音は、ヨーロッパの気候、湿度に合う気がする。そう考えると、ムラマツはヒノキの家、日本間にも合う音のような気がする。

今のところ、自分が吹いた感覚ではアルタスの音が一番気持ちいい。少量生産で匠の気持ちが込められているのが伝わってくる。深緑の中を清浄で透き通った風に、妖精が乗ってやってくるイメージ。からだが開く。

その日練習していた曲を、お手本で吹いてくださって、それは心に染み入り、感謝です。

N響なので、テレビでお目にかかることが多い。でも先日は、女性奏者お二人ばかりが画面に入って、先生は一瞬。やはり、オーケストラは生にかぎります。

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