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静嘉堂 「文房具の楽しみ」

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閑静な住宅街の中で、ひときわ深い森林の香りがする、ここは静嘉堂也。

紅葉もたけなわ、静かな自然がこころよく招き入れてくれた。それにしても大樹の荘厳なこと。銀杏の黄金の葉は、蒼蒼たる天空にひらひらとたなびいていた。

静嘉堂は和漢の古典籍に詳しい者には、その専門図書館として有名である。蔵書20万冊、東洋古美術品は5000点収蔵されている。それが、平成4年に、文庫創設百周年の記念事業として、美術館が建設されたため、以前より気楽に足を踏み入れることができるようになった。

ここは三菱第二代社長岩崎彌之助と同第四代社長小彌太の父子に二代によって設立された。彌之助は当時の他の文化人と同様、高尚な趣味であり、使命とも言える古典籍、美術品の蒐集に努めた。彼らが集めなければ、散逸したり、外国に散らばってしまっただろう。昔の上流社会の人々は、確かに文化保存に大きな貢献をしていた。

さて、静嘉堂、この名の由来は、『詩経』大雅 既酔編の「籩豆静嘉」が出典で、彌之助が堂号として用いていたものである。前後の句には何が書いてあったか。そこで手元の愛読書『詩経』を開いてみた。13句目から抜書き。

其告維何 籩豆静嘉

朋友収(人偏に収)攝 攝以威儀

其の告げたるは維れ何ぞ、籩豆静嘉なり。

朋友ここに攝(たす)く、攝(たす)くるに威儀を以ってす。

お告げになったのは何ですか?「お供えの籩豆ともに善し。一族の朋友祭りを助け、助祭は礼儀に適っておる」

籩豆の籩は、果実や干した肉を盛る竹器、豆(とう)は漬けた野菜や塩漬けの肉を盛る陶器あるいは銅器という。

豆(とう)にはちょっと詳しいのだが、書くと長くなってしまうのでひとこと。豆はその器の形を表現している。高杯であるプリンアラモード型のような器だ。ただし、初期のものは皿が浅く、蓋がない。蓋がついて、深さが深くなるのは戦国時代以降である。だから、豆の一番上の一は、蓋ではなくて載せたものである可能性が高い。

時代が下って、豆が器としてあまり使われなくなった後、その字が食物の豆に使われるようになったらしい。豆も盛っていたのだろう。

要するに、静嘉とは祖先の霊前に供えるお供物が立派にそろったことを表している。事実、静嘉堂の中には、りっぱな宗廟が鎮座している。

ところで、今回の展覧会は、「書斎の美学 文房具の楽しみ」

文房具の文房とは一言で言えば書斎のことである。その静謐なる空間では、筆、墨、硯、紙が最も重要な位置を占める。宋代以降、文房四宝と呼ばれ、ことのほか珍重されてきた。

北京にいたときは、栄宝斎によく行っていたから、心なしか懐かしい気分。

その他、水入れ、筆洗いや印材など文房具周りの種類は多い。空間を満たす香りには、手の込んだ彫刻があしらわれている墨の香りと香炉から立ち上る香り。墨はケースから出して、香りを聞いてみたかった。龍脳はもちろんのこと、高価なものには麝香さえも練りこんである。

すばらしい白玉の香道具一式にもお目にかかれた。実物に出会うと、当時は先進技術で誕生した線香がどのように保管されていたかわかるのである。

乾隆帝の時代、玉彫の技術は頂点を迎え、どれも目を見張るほどである。もちろん、漢代以前より、玉の調達はあるにはあったが、その数は少ない。シルクロードはホータンの玉はそれは尊ばれた。また、その彫刻も青銅器が発達する前はいったい、どうやって彫っていたのか。

清代、青銅器で再現、というのもこれまた難しかったのではないか。神業的なテクニックが必要だからだ。厚みが少しでも均等でなければ割れてしまう。

この世界に目が慣れてしまうと、つまり、審美眼が発達すると、現代の彫刻がどうしても物足りなくなってしまう。当時の工匠であり、芸術家は現代と同じように、誇りをもって仕事をしていたのだろうが、恐らく命がけに近いものもあったのかもしれない。人間の発想力、手工芸の技術が極められると、それは見るものの心を動かす。文字通り、切磋琢磨の世界である。

白玉李白筆洗いなど、ご主人様はたいそうなでたのではないかと思うほど。

端渓の硯がずいぶん陳列されていた。堂々である。

陝西臨洮の洮河緑石には惹かれた。色が本当に渋い。硯の神様みたいな先生に今度お伺いしてみよう。

水石も相当コレクションがあったというが、現在は数個残るのみという。どこへ旅立ってしまったものか。桐箱に入れて、後生大事に保管されているのだろうか。

伊予石の俄眉山がなかなかよかった。本物に登った身としては、結構雰囲気が近かったと思うので。自然の造形というものは奥が深いし、それを見立てた発見者も想像力が豊かである。

加茂川の茅舎石も真に迫っていたが、紫の敷物より、もう少し川のイメージに合うものを。

水石にはまっている人々は、ディープ、らしい。

新関欽也氏の印材コレクションには、あまりの精巧さ、魅力に絶句した。

田黄の龍鳳凰文浮彫は、いつまで見ていても飽きない。ある意味でかの有名な盆栽「日暮らし」のようだ。そして、どこから見ても完璧。

橘皮黄というミカンの皮のような色と称され、印面は大根の煮物の切り口!だそうだ。

温潤、細膩、旧、透、幼、静、すべてそろっている。

なんと、西太后から李鴻章に下賜され、以下様々な人の手を経て、新関氏が譲り受けたそうである。

杜陵坑の蛙鈕はよくぞ、あの黒い部分を蛙に彫ったものである。足元からは薄いオレンジになっている。昔の人の豊かなイマジネーションとおしゃれなセンスには頭が下がる。

白玉の印鑑だが、鎖がついている!もちろん一塊の玉から彫り出して、である。

大陸のいろいろなところで彫ってもらった篆刻やまだ彫っていないものがあるが、いまさらながらもっと買っておけばよかった~と悔やんでいる。

そういえば、「日本で腕のいい篆刻家を探すのはなかなか難しいけれど、才能ある若手に頼んでおくから」とのお勧めで注文したものは、まだ手元に届いていないな。

現代は、買い替えが迫られるパソコンが文房具の進化形のひとつであろう。最近ではカラフルなパソコンや木製も出ている。思えば筆、墨、硯、紙がひとつに収まっているわけだ。しかし、電磁波は出るし、愛でる、という感覚からは遠のいてしまった。

筆どころか万年筆にもずいぶんとご無沙汰してしまった。

当時の文房具は当然ながらすべて手作りで、匠の魂が込められたもの。

静嘉堂に陳列の文房具は秀逸な品々で、しかもその使い手は朝廷でも一流の頭と腕を持った人々である。彼らは筆、墨、硯、紙などの文房具を単なる道具としてだけではなく、芸術品、家宝として大切に使用していたのであろう。そして、おそらく、日々の疲労や気疲れを癒してくれるパートナーとして。傍らに文房四宝。

ひとつひとつの物を大事にして、使い続ける・・・・・・まさにサスティナビリティの発想の原点ではないか。

スローライフではないけれど、今一度、アナログの文房具に登場してもらおうか。

今までの生き方がにじみ出てしまう文章、そして「問題な・肉筆」、気持ちよくスマートに書けるようになりたいものである。さらさらっと。

手書きの文字には、うまい下手に限らず、心を込めればきっとパワーが宿るはず。

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