蘭亭序 訓読

蘭亭序 (訓読)

            王義之

永和九年、歳は癸丑に在り。暮春初め、会稽山陰蘭亭に会す。禊事を脩むるなり。

群賢畢く至り、少長咸集まる。此の地に崇山峻嶺、茂林脩林有り、又清流激湍有りて、

左右に映帯す。引いて以って流觴曲水を為し、其の次に列座す。絲竹管弦盛無しと

雖も、一觴一詠、亦た以って幽情を暢叙するに足る。

是の日や、天朗気清、恵風和暢す。宇宙大を仰観し、品類盛んなるを俯察す。

所以に目を遊ばしめ懐を騁せ、以って視聴娯しみを極むるに足れり。

信に楽しむ可きなり。

夫れ人相い与に一世に俯仰するや、或いは諸を懐抱に取り、一室内に悟言し、

或いは寄せて託する所に因りて、形骸外に放浪す。趣舎萬殊にして、静躁同じからずと

雖も、其の遇う所に欣び、暫く己れに得るに当たっては、怏然として自ら足り、老い将に

至らんとするを知らず。其のく所は既に惓み、情は事に随いて遷るに及んで、感慨

係われり。

欣ぶ所は俛仰間、以に陳迹と為るも、猶を以って懐を興さざる能はず。

況んや脩短は化に随い、終に尽くるに期するをや。

古人云う、死生も亦た大なり、と。豈に痛ましからずや。

毎に昔人興感由を攬るに、一契を合するが若し。

未だ嘗て文に臨みて嗟悼せずんばあらず。を懐に喩す能わず。

固より死生を一にするは虚誕たり、彭殤を斉しくするは妄作たるを知る。

今を視るは、亦た由お今昔を視るがごとし。悲しいかな。

故に時人を列叙し、其の述する所を録す。

世殊なり、事異なると雖も、懐を興す所以、其の致は一なり。

攬る者、亦た将に斯文に感ずる有らんとす。

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ヴィーナス・蘭亭序・バロック・アラカルト

4月以降の文化・芸術系抜粋メモ。

なかなか、忙しくて詳細に書く時間がないのです。

・アートフェア (東京国際フォーラム)

西嶋先生の筆跡が箱のふたにある、発掘品もあり。敷居の超高い古美術店もこんなイベントの時には、おじゃまできる。与謝野晶子、福沢諭吉の直筆掛け軸も!値段がついてる・・・。上の広場の大江戸骨董店ではお目当てのものをゲット。みつかるもんです。

・ウルビーノのヴィーナス(国立西洋美術館)

ティツィアーノのがやっぱりよかった。思ったより大きい。背景の長持ちの中から衣裳を出しているメイド二人、壁紙、後ろの鉢植えがその時代を表していて興味を持った。

ローマ時代の模刻だが、ドイダルサスのアフロディテは何度も振り返るほど。文句なし。

・ミュージアムコンサート ヴィーナス ~愛と美の調べにのせて~(国立西洋美術館)

フルートは立花千春さん、ハープは宮原真由美さん。主催者側のリクエストに答えて、テーマのイメージに沿う曲、だそうだが、フルート用ではないので、苦労された模様。単にメロディーがあるからいいでしょう、ではないのである。フルートにはフルート用アレンジがあるのだし。外は嵐なのに、とても優雅なひと時を過させていただいた。

・オペラ 「エフゲニー・オネーギン」(上野文化会館)

昨年に引き続き、子供のお供。小澤征爾さんも中央に座っていらした。赤いジャケット片手に。指揮はピエール・ヴァレー氏。今回は会場の子供たちがわかるパフォーマンスも入っていたようで、昨年のタンホイザーよりはるかに評判がよかった。だいたい、内容がわかりやすい。一般用の配役より、皆若手。オネーギンの声、よかったなあ。グレーミン公爵の出番は少ないのに、あの存在感には圧倒された。

好田タクトさんは、昨年はワーグナー、今年はチャイコフスキーに扮されていらしたが、やはり、本職の「指揮なりきり」も披露していただきたい。

東京オペラの森のイベント、オーケストラ公演 ピアノがユンディだったのだけど、チケットがとれず断念。そのうち生を聴きたい。彼の重慶なまりも。

2000年の、あのショパン国際コンサートでは、実はユンディより3位のアレクサンダー・コブリンの方が印象に残った。今年来日!

85年は、ルイサダ先生が5位で小山実稚恵さんが4位だったのだ。

・薬師寺展(東京国立博物館)

展示品がいつもより少ないので、ゆったり見ることができた。人は多かったけど。BSで前もって特集を見ていたので、わかりやすかった。日光菩薩、月光菩薩、この力強さ、おそばにいるだけで、この安心感。塔の部品展示で、大きな発見をして満足。日々、取材である。

・薬師寺展 記念歌会(東京国立博物館 平成館 大講堂)

心のまほろば 薬師寺を詠む

NHKの公開録画。選者は佐々木信綱先生(大学のとき、般教で受講)、俵万智さん、司会は平野啓子さん。イントロの平野さんの朗読は大画面からの声だとばかり思ったのに、目の前の声とわかり、いたく感動。プロはすごい。最終まで残った五首は、すべて最初からいいな、と感じていたので、自分の審美眼を誉めよう。

・蘭亭序(書道博物館)

蘭亭序ざんまい。王義之の本物は皇帝と共にお墓の中ですが、それぞれの蘭亭序はそれぞれに味わいがある。内神田の東書店のカバーが蘭亭序と気づいている人はどのくらいいるだろう。書ばかりクローズアップされるが、書いてある内容のスケールが大きくてすっきりする。

・平山郁夫とシルクロードガラス展(古代オリエント博物館)

パルミラを発掘された林先生にチケットを頂いた。ガラス製作技術史の輪郭がわかって、とてもよかった。メソポタミア、テル・ウマル遺跡(3800年前)のガラスの秘伝書とは、興味深い。自分たちが何の気なしに使っているガラスは、智慧の結晶と改めて認識した。ローマのガラス容器は今とほとんど変わらない。ローマで発展したものは驚くほど多い。

・東京六大学ピアノ連盟企画演奏会2008 Beyond(文京シビックホール)

浅野稔子さんはドビュッシー、植松洋史さんはカプースチン、金子一朗さんはベートーベンとスクリャービン。浅野さんはピアノの先生もしていらっしゃるが、他の方は本業が別にある。ピアノが好きで好きで続けて、しかも腕前はプロ以上。一台のピアノで、これだけ音色が違うとは!!弦楽器や管楽器と違ってピアノは誰にでも音は出せますが。実はピアノは人によってこれだけ出す音が違います。指の太さ、長さ、筋肉、強さ、タッチする場所。一音一音、計算ずくで出している音。深い。今年のマイブームはドビュッシーとスクリァービン。

・紫禁城写真展(東京都写真美術館)

百年前の紫禁城の写真と現代の写真。紫禁城の前は数えられないくらい通った。前は車がぶんぶん。それが、百年前は当然のことだが、一面むき出し、雑草も生える大地だ。以前、展示品の写真は自由に撮れたが、昨年あたりから禁止になったらしい。もっと撮っておけばよかったな。映画を見せて頂いたが、これがなかなか参考になるものが多かった。天井裏まで見ることができたのだから。康熙帝のとき、梁九がいたからこそ修復できたのである。

・岡鹿之助展(ブリヂストン美術館)

ひたすら静謐、どの絵を見てもストンとグラウンディンするような感覚だ。なかでも雪シリーズがしんしんとした雰囲気を伝えている。そうそう、私が森で見た雪はまさにこのとおり。お公家さんのような容貌だが、出身はそうではない。声を聞いてみたいと思った。パンジーは私がパンジーを認識した時代に描かれたもの。今はたくさんの種類の花があるけれど、当時、パンジーはしゃれた花にうつった。

・古代ギリシアのアングルハープ 復元と演奏(ブリヂストン美術館)

元国立劇場演出室長の木戸敏郎さんのライフワークである、アングルハープ複製のレクチャーコンサート。筝曲家の西陽子さんが演奏。正倉院の箜篌(くご アングルハープ)にいきなり、詳しくなってしまった。漢代、くごを使うようになった背景が自分なりに理解できるようになった。これは大きな収穫である。どこかで発掘されればよいのだが。

・長江哀歌(東京都写真美術館ホール)

観客20人以下。ゆったり鑑賞することができた。三門峡ダム工事に翻弄される人々のエレジー。主人公たちの会話のさなかに、轟音。ビルが次々と爆破されていくのだ。破壊と再生の繰り返しの中国史を髣髴とさせる。そして、水を治めたものが勝者だ。

5月の四川省大地震。水の恵みがあったからこそ栄えた四川盆地だが、その水、今は海子(堰止湖)に脅かされている。四川省は決して地震が少ない地ではない。1933年の茂県畳渓鎮(ぶん川、専門家はびん川と呼ぶ の隣の県)では7000人近く亡くなり、堰止湖は2つでき、45日後に決壊、さらに2500人死亡。1986年には再び堰止湖が決壊しているのだ。この歴史がわかると、今、必死に堰止湖の水を人工的に処理しようとしている意味が見えてくる。

被害のひどかった都江堰には、20年前にたった一人で訪れたことがある。治水を成功させた李冰(りひょう)のしごとを見るために。震え上がるほど、しぶきのあがる急流だ。あの道行く人々はどうしただろうか。

・目白バロック・トークコンサート(雑司が谷音楽堂)

毎年行う、目白の音楽祭の中のひとつ。これはピティナ・ピアノステップが実施。プロによるトークコンサートの前も聴講可というので、早めに行った。子供たちのふつうの発表会と思いきや、そのレベルの高さに舌を巻いた。出演回数50回の学生も!いや~この中から、将来、スターが出るかも、と思うとダイヤの原石を見るようであった。バロックの譜面をたくさん注文してしまいそうである。不断の練習が必要であるが。すべてバロックの曲だったので、特にそうなのかもしれないが、左右の脳のバランスが取れてくるような感覚があった。自分で日々弾けばもっとよいのである。時間が許す限りだいたい毎日練習している。

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宝貝からピョートル大帝まで

今年に入ってから、訪れたアート、アカデミック系メモ。

貨幣博物館

殷代、貨幣として通用していた宝貝が多く発見されているということは、当時の支配圏の広さ、南方との交易を髣髴とさせる。海岸で貝をひろってにんまりしている人は、昔の記憶がよみがえっているのだろうか?

日本舞踊

知人の舞台発表、なかなかあでやか、浜町河岸の歌、懐かしかった。

大倉集古館

ひたすら鼻煙壺のコレクションに感激する。つぼの内側から細密画を描くとは並大抵のテクニックではない。

泉屋博古館

吉祥のメモメモ。文様は発音とともに吉祥を運ぶのだ。日本人は意味がわかっていないことが多いが、やはり、ルーツを理解することが肝要。

東京国立博物館

宮廷のみやび 前回の大徳川展ほどは混んでいなかった。

年号をひたすら覚えさせるより、藤原道長が近衛文麿の祖先だったとか、かれら一族が日本史に残した業績を理解するほうが、はるかにためになる。しかし、繁栄のうらには地道な霊的、物質的な努力があったのである。

出光美術館

王朝の恋。昔男ありけり・・・・ ついブロマイドも買ってしまった。古典の先生の声まで思い出した。昔のメロドラマだったのだろう。すごい人だかりだった。年齢層高し。

古代オリエント博物館

ここはたまに行くが、陳列の仕方、双方向性の展示ポリシーに好感が持てる。シリアは面白い。

WAZA展

金箔、象牙製品、筆が手に入った。

ハウス・オブ・シセイドウ

バルビエのイラストはなかなかいい。これから知名度が上がっていくのだろうか?香水瓶もよりどりみどり。

新日本フィルコンサート

トリフォニーホールは音響がいい。マーラーがよかった。イケメンの指揮者が遠くて残念。

深川江戸資料館

ここは、祖父母の思い出の宝庫のようだ。つまり、江戸と明治はつながっているということである。翌日、テレビに放映されていた。シンクロ。

清澄白川のあさりの漬物は絶品である。日本五大銘飯である、深川めしを食べに行こう。

下町風俗資料館

風呂の磐梯に座ってみた。結構ながめがいいものだ。ビロードばりのいすがあるカフェもいい感じ。

旧東京音楽学校奏楽堂

ホールでバロックを聞きながら、ちょっと休憩。以前、コンサートを聴きに来たことがある。たまには日曜のパイプオルガンを聞きに来ようか。木曜はとても混むそうである。

東京都美術館

ルーブル展。若い女性が多かった。マリー・アントワネットの実兄ヨーセフ2世の嗅ぎ煙草入れは、ダイヤがちりばめてあったので、目が点。外国女性であった、アントワネットはフランスにはそもそも住みにくかった。

遊牧騎馬民族の講義

ピョートル大帝のシベリア=コレクションがあったからこそ、エルミタージュができたのである。盗掘した金製品はとかして地金に、なんて時代があったのだ。西欧の知識を知っていた大帝のおかげで命拾いしたコレクションだ。

アルジャンの遺跡に興味を持った。いつごろ日本へ上陸することやら。

川、湖、海でマイナスイオン。

梅・桜・桃で春の息吹。

4月以降は頂いた展覧会やコンサートのチケットがどっさりあってラッキーである。

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静嘉堂 「文房具の楽しみ」

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閑静な住宅街の中で、ひときわ深い森林の香りがする、ここは静嘉堂也。

紅葉もたけなわ、静かな自然がこころよく招き入れてくれた。それにしても大樹の荘厳なこと。銀杏の黄金の葉は、蒼蒼たる天空にひらひらとたなびいていた。

静嘉堂は和漢の古典籍に詳しい者には、その専門図書館として有名である。蔵書20万冊、東洋古美術品は5000点収蔵されている。それが、平成4年に、文庫創設百周年の記念事業として、美術館が建設されたため、以前より気楽に足を踏み入れることができるようになった。

ここは三菱第二代社長岩崎彌之助と同第四代社長小彌太の父子に二代によって設立された。彌之助は当時の他の文化人と同様、高尚な趣味であり、使命とも言える古典籍、美術品の蒐集に努めた。彼らが集めなければ、散逸したり、外国に散らばってしまっただろう。昔の上流社会の人々は、確かに文化保存に大きな貢献をしていた。

さて、静嘉堂、この名の由来は、『詩経』大雅 既酔編の「籩豆静嘉」が出典で、彌之助が堂号として用いていたものである。前後の句には何が書いてあったか。そこで手元の愛読書『詩経』を開いてみた。13句目から抜書き。

其告維何 籩豆静嘉

朋友収(人偏に収)攝 攝以威儀

其の告げたるは維れ何ぞ、籩豆静嘉なり。

朋友ここに攝(たす)く、攝(たす)くるに威儀を以ってす。

お告げになったのは何ですか?「お供えの籩豆ともに善し。一族の朋友祭りを助け、助祭は礼儀に適っておる」

籩豆の籩は、果実や干した肉を盛る竹器、豆(とう)は漬けた野菜や塩漬けの肉を盛る陶器あるいは銅器という。

豆(とう)にはちょっと詳しいのだが、書くと長くなってしまうのでひとこと。豆はその器の形を表現している。高杯であるプリンアラモード型のような器だ。ただし、初期のものは皿が浅く、蓋がない。蓋がついて、深さが深くなるのは戦国時代以降である。だから、豆の一番上の一は、蓋ではなくて載せたものである可能性が高い。

時代が下って、豆が器としてあまり使われなくなった後、その字が食物の豆に使われるようになったらしい。豆も盛っていたのだろう。

要するに、静嘉とは祖先の霊前に供えるお供物が立派にそろったことを表している。事実、静嘉堂の中には、りっぱな宗廟が鎮座している。

ところで、今回の展覧会は、「書斎の美学 文房具の楽しみ」

文房具の文房とは一言で言えば書斎のことである。その静謐なる空間では、筆、墨、硯、紙が最も重要な位置を占める。宋代以降、文房四宝と呼ばれ、ことのほか珍重されてきた。

北京にいたときは、栄宝斎によく行っていたから、心なしか懐かしい気分。

その他、水入れ、筆洗いや印材など文房具周りの種類は多い。空間を満たす香りには、手の込んだ彫刻があしらわれている墨の香りと香炉から立ち上る香り。墨はケースから出して、香りを聞いてみたかった。龍脳はもちろんのこと、高価なものには麝香さえも練りこんである。

すばらしい白玉の香道具一式にもお目にかかれた。実物に出会うと、当時は先進技術で誕生した線香がどのように保管されていたかわかるのである。

乾隆帝の時代、玉彫の技術は頂点を迎え、どれも目を見張るほどである。もちろん、漢代以前より、玉の調達はあるにはあったが、その数は少ない。シルクロードはホータンの玉はそれは尊ばれた。また、その彫刻も青銅器が発達する前はいったい、どうやって彫っていたのか。

清代、青銅器で再現、というのもこれまた難しかったのではないか。神業的なテクニックが必要だからだ。厚みが少しでも均等でなければ割れてしまう。

この世界に目が慣れてしまうと、つまり、審美眼が発達すると、現代の彫刻がどうしても物足りなくなってしまう。当時の工匠であり、芸術家は現代と同じように、誇りをもって仕事をしていたのだろうが、恐らく命がけに近いものもあったのかもしれない。人間の発想力、手工芸の技術が極められると、それは見るものの心を動かす。文字通り、切磋琢磨の世界である。

白玉李白筆洗いなど、ご主人様はたいそうなでたのではないかと思うほど。

端渓の硯がずいぶん陳列されていた。堂々である。

陝西臨洮の洮河緑石には惹かれた。色が本当に渋い。硯の神様みたいな先生に今度お伺いしてみよう。

水石も相当コレクションがあったというが、現在は数個残るのみという。どこへ旅立ってしまったものか。桐箱に入れて、後生大事に保管されているのだろうか。

伊予石の俄眉山がなかなかよかった。本物に登った身としては、結構雰囲気が近かったと思うので。自然の造形というものは奥が深いし、それを見立てた発見者も想像力が豊かである。

加茂川の茅舎石も真に迫っていたが、紫の敷物より、もう少し川のイメージに合うものを。

水石にはまっている人々は、ディープ、らしい。

新関欽也氏の印材コレクションには、あまりの精巧さ、魅力に絶句した。

田黄の龍鳳凰文浮彫は、いつまで見ていても飽きない。ある意味でかの有名な盆栽「日暮らし」のようだ。そして、どこから見ても完璧。

橘皮黄というミカンの皮のような色と称され、印面は大根の煮物の切り口!だそうだ。

温潤、細膩、旧、透、幼、静、すべてそろっている。

なんと、西太后から李鴻章に下賜され、以下様々な人の手を経て、新関氏が譲り受けたそうである。

杜陵坑の蛙鈕はよくぞ、あの黒い部分を蛙に彫ったものである。足元からは薄いオレンジになっている。昔の人の豊かなイマジネーションとおしゃれなセンスには頭が下がる。

白玉の印鑑だが、鎖がついている!もちろん一塊の玉から彫り出して、である。

大陸のいろいろなところで彫ってもらった篆刻やまだ彫っていないものがあるが、いまさらながらもっと買っておけばよかった~と悔やんでいる。

そういえば、「日本で腕のいい篆刻家を探すのはなかなか難しいけれど、才能ある若手に頼んでおくから」とのお勧めで注文したものは、まだ手元に届いていないな。

現代は、買い替えが迫られるパソコンが文房具の進化形のひとつであろう。最近ではカラフルなパソコンや木製も出ている。思えば筆、墨、硯、紙がひとつに収まっているわけだ。しかし、電磁波は出るし、愛でる、という感覚からは遠のいてしまった。

筆どころか万年筆にもずいぶんとご無沙汰してしまった。

当時の文房具は当然ながらすべて手作りで、匠の魂が込められたもの。

静嘉堂に陳列の文房具は秀逸な品々で、しかもその使い手は朝廷でも一流の頭と腕を持った人々である。彼らは筆、墨、硯、紙などの文房具を単なる道具としてだけではなく、芸術品、家宝として大切に使用していたのであろう。そして、おそらく、日々の疲労や気疲れを癒してくれるパートナーとして。傍らに文房四宝。

ひとつひとつの物を大事にして、使い続ける・・・・・・まさにサスティナビリティの発想の原点ではないか。

スローライフではないけれど、今一度、アナログの文房具に登場してもらおうか。

今までの生き方がにじみ出てしまう文章、そして「問題な・肉筆」、気持ちよくスマートに書けるようになりたいものである。さらさらっと。

手書きの文字には、うまい下手に限らず、心を込めればきっとパワーが宿るはず。

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ふたつの油滴天目

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先日、東京国立博物館の常設展を見に行こうと、入館したら「30分待ち」

これは大徳川展の人気である。こんな看板は初めて見た。この日は入る予定がなかったので、念願の庭園へ足を踏み入れた。鎌倉の匂いがする。そんな古い建物群にほっとした。

常設展では、主に仏像の特定部分を調査中である。東洋館は貸しきり状態に近く、ゆったり見ることができた。西安の宝慶寺がここまで多く収蔵されているとは思わず、大きな収穫あり。何点かスケッチできた。

再び、東京国立博物館へ。今度は開館前にと、がんばったが、すでに切符売り場も人だかり。パスポートが切れていたので、急いで購入して、これで50人くらいは桂馬とび。

と・・・今度は平成館の前に、数百人の行列!まだ9時半になってない。すごい人である。団塊の世代が8割ぐらいだろうか。

15分ほどでどうにか入館。初めは3重の列くらいで、11時過ぎには満員電車で前は何も見えなくなった。

出てきたときは、すっ、すごい人、人、人!これは、ディズニーランドもロックコンサートも顔負け?くねった蛇のような行列。

「70分待ち」の放送。ア然。長年通っているが、ここまでのは初めて。

そんなに寒くない日ならよいが、高齢の方がずっと外にこの時間立ち尽くしているのは難儀ではないか。

出品目録も品薄になってしまったようで、お願いすると、奥の方から出して頂けた。あまりの大入りに印刷が間に合わないのだろう。

混雑に驚いているのはこのくらいにして、どうにか見て来た感想。

とにかく展示数が多かった。甲冑から家康のめがね、靴下、和宮の婚礼調度まで。

南蛮胴具足や刀に人だかりができていたが、興味があるのは伽羅と古文書。

伽羅は大きい!以前、その3分の1くらいのものを触らせて頂いたことがあるが、手のひらの上の家? 値段はつけられないが陳列品の中でも上位の価値があるだろう。家康はシャム王に何度も沈香、とくに伽羅を譲ってほしいと手紙を書いている。蘭麝待は伽羅ではないから、この大きさは格別である。黒光りが重厚だった。

その伽羅も焚いたと思われる、金銅獅子鈕香炉には当時のままの灰が残っているという。宋代の復古主義らしい作品だ。家康は寅年だが、獅子を選んだのも美意識とその格なのだろう。

『大日本史』は学生の頃に学んだが、光圀の校訂の朱文字入りの草稿があった。これは貴重である。熱心さが伝わってくる。

朝鮮版の『李太白詩』。ちょうど賦のページだった。賦は『漢書』芸文志によれば「歌わずして誦する、これを賦といふ」とある。旋律に寄らない分、修辞的表現の発達がみられるようになった。

形と音と義とを組み合わせて構成していくもので、相当技巧的なものが必要。職人芸なのである。表面的には美辞麗句を言っているようでも、皇帝などに対する風刺性がわからないように込めてあるところがミソ。

このところ賦にはまっているので、嬉しい。やはり司馬相如のがいい。使いこなす言葉が本当にすばらしく、しびれるのである。こんな表現もあり、こんな漢字の使い方も組み合わせもあり。日本語訳をたくさん読めば、少しはセンスがつくかも。

明版の『戦国策』にも出会えた。斉国のページだった。演習で発表したのを思い出す。徳川家はこれらの書も読んでいたのだ。

などと思いつつ練り歩いていると、斉昭所有の龍笛があった。若干太く見えたがどうだろうか。ケースもシンプルですてきだった。

曜変天目(油滴天目)茶碗があった。四方から見ることができる。このあと、三井記念美術館で、安宅コレクションを見に行く予定だったので、目を皿にして記憶しようとした。肉眼でどう違うのかと。

姫宮のみやびは、圧巻であった。ここは女性の園。皆動かない。究極の婚礼調度品である。着物の色彩は現代のものかと思うほど鮮やか、八千代姫の人形能面、百面には目を見張ったし、和宮の六玉川蒔絵袖机はとてもチャーミング。

美の求道者 安宅英一の眼 安宅コレクションへ

1975年、日本橋三越で開催された「中国陶磁名品展 安宅コレクション」の目録はすでに持っている。お目当ての写真一枚のために、古書店で探し当てたものだ。

安宅商会は1977年に終焉を迎えたので、その2年前の展覧会ということになる。国宝に指定されている「油滴天目茶碗」は意外や意外、なんと後ろのページで小さく白黒写真だった!

油滴天目は主に福建省の建窯で焼かれたもので、漆黒の釉面に小さな結晶斑が一面に浮かび上がり、銀色に輝く。結晶斑は焼成中、釉薬にできた気泡が破れて、くぼんだところに鉄が入り込んでできた結晶である。天然の偶発的な美しさがある。

浙江省のあたりに天目山という山があり、宋代にそこの禅寺で修行した日本の僧がみやげに持ち帰ったところから、天目と呼ばれるようなったという。

安宅コレクションの油滴天目は南宋、徳川のは金代の作。形は安宅がシャープで秀麗、徳川は温かみのある安定感。安宅が国宝になったポイントは、結晶斑の豪華さ、鮮やかさ、華やかさだそうだ。これが、自然のなせるわざである。国宝のほうが、確かにくっきりとして、内側はまるで銀色に光る雪がだんだんと積もっていくかのようで、バランスがよい。いつまで見ていても飽きない。一日のうちに比べて見られたのはラッキーであった。

加彩婦女俑はあっぱれな存在感。出土物に慣れている私には眼からウロコであった。美術品なのである。非常に写実的で、表情も豊かだ。とりわけ、後姿がまさにそこにいるふくよかでなまめかしい貴人であった。陳列の都合上、なかなか後姿を見ることはできないのだが、ここは四方から見ることができたので、満足。

青磁は重要美術品にもなっていないが、官窯の八角瓶が光ってみえた。色もつやもすばらしい。

汝窯に興味を持った。日本には4点しかないという。やはり、官窯なのか。

一対の白い梅瓶には、つまみのある蓋がかぶさっていた。なかなか蓋にはお目にかかれない。蓋つきだと、なんだか荘厳に見えるものだ。

直径50センチはあると思われる、明代の堆朱蓮池鴛鴦文輪花盆、これには非常に驚いた。「いい仕事してますね」というあのことばが聞こえてくるようだ。堆朱は刻みの鋭角感があまり好きではなかったのだが、このまろやかさ!これぞ完璧。

青銅器は卣がひとつのみ。他のもぜひ鑑賞してみたいものだ。一番見たいものがなくて残念。大阪に行った折に寄ってみたい。

安宅英一は1901年、1月1日に裕福な家庭に誕生。中華人民共和国成立の1949年、母が英一の誕生日である1月1日に、父が2月に亡くなり、翌年には妻が亡くなっている。彼のコレクションはその翌年に始まっている。何らかの心境の変化があったのだろう。

クラシックのパトロンとしても、日本を代表する審美眼の持ち主としても名を残した。

とにかく、物でも人でも一流と付き合う、というのがポリシーだったようだ。人の一流は才能や技術だけで語れるものではないから、なかなか難しいところ。

古美術店の方に、「審美眼を磨くには、まずは一流を見に行くこと!」と言われている。今回の安宅コレクションは中でも群を抜くであろう。

今までの既成概念が外れたところがあるような気がする。つまり、いいものを見ていなかったのだ。いつもは、歴史的価値を第一基準にして、出土地があいまいなものには興味がなかったのだが、それだけでは匠の技は理解できない。

最近、春秋時代の封泥を手に入れた。レプリカより安いからこそ、本物だと。まー、真偽はどうであれ、字は合っているのだから、いいのである。コレクションしそう。

そこのご店主は中国で模造品工場を見学したことがあるそうだが、びっくりするほどよくできているそうである。瓦当も絵が描いてあるのがいい、という人がいるのでそれを仕入れてくるそうだが、こちらは漢字が書いてある方が面白い。書いてある字からその下にはどんな人が住んでいるか、推定できるし。

ある瓦当は特定の宮殿にしか使われていなくて、みつかることも滅多にないはず。だいたい、9割は偽物というから、値段も安い。こんなきれいな形でみつかることもないはず。

でも、美しい、と思う人もいる。これは古美術を超えている感覚である。

ともあれ、いいものは心に訴えるものがある。脳波も変わる。

昔は、限られた人にしか縁のなかった一品に、今は誰でも会えるのだから、平和な時代である。

青白磁の皿と天目のような茶碗がほしくなった。安くても愛でたいものだ。

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花うさぎと厓画無法

仙厓の○△□   

大宇宙か?解釈が難しいと解説に書いてあったけど・・・言葉で説明しようったってしょうがない。

などと考えながら、奶茶の聞香杯をうっとりしながら嗅ぎ、ふと、ジュサブロー館で頂いた、パンフレットに目を通す。

    さよなら三角、

    またきて四角、

    こんどくるとき 丸くなる。

えっ?頭の中で△□○が浮かび、それって ○△□?

シンクロである。

△□○の方は、人形師辻村ジュサブローさんが監修された山形は酒田の「夢の倶楽」のパンフレットにあったキャッチフレーズ。

友人と人形町のジュサブロー館へ行って、甘酒横丁の行列を成している高級たいやきを尻目に、豆腐の双葉でほくほくランチ。そのあと明治座の隣の浜町公園であまりにまぶしい太陽を感じて、そういえば仙厓展が終わってしまう、と急きょ出光美術館へ向かったのである。最後に茶館で芳しいお茶を飲んでいたら、△□○に気がついたわけだ。

とても不思議な感覚だった。ジュサブローさんの感性あふれる人形たちと仙厓の水墨画の主人公たちがつながったのである。天衣無縫でくったくのない笑顔の紙面の登場人物と動物たち。

ジュサブローさんの人形といえば、なんといってもNHKテレビの「新八犬伝」の、私的には犬塚志乃、伏姫などである。毎日見て、やっと無事に一日が終わるのだ。夕暮れ時の充足感。これは忘れない。そして明日が待ち遠しい。

人形町の横丁にあるその館はこじんまりとして植木に覆われている。中からは楽しそうな人々の声。ちょうど先に来ていた人たちが全員退館していくところだった。

だから、ずっと貸切。おもいっきり贅沢。お弟子さんはとらないというので、そうではないとおっしゃるが、アドバイスを頂いているという人形師の方が解説してくださって、ほーっ!の嵐であった。

割と最近の作品であるという、おいらんの帯は三本使っているという。柄を出すために。目にエナメルを塗っているだけというが、これが色っぽい。後ろに鏡があって背中も見える。なんてつやっぽいんだろう。着物のしわのより具合。やっぱり魂が入っている。肌はちりめんの質感を越えている。

明治の着物の生地はたたいているので、薄く軽い。いまのは厚ぼったい。昔の着物の色合いは優しいが、今のは派手。色が鮮やか過ぎるとかえって顔色が悪くうつる。着物の柄が大きすぎて、顔が負けてしまう。おっしゃるとおり。人形たちのお召し物は日本古来からの、はんなりいい色だ。

とにかく、「この子はいるいる!実際に。歩いているよ。そのへんに」着物を着てレトロな人形なのに、そこらへんを歩いているのだ。だから、食い入るように見てしまうのかもしれない。

ユーモラスな表情、しぐさ、お地蔵様にぐちったら「なーにいってんの~よぉ」と言われそう。世の中楽しく生きなくちゃ、そんな声も聞こえてくる。

洋風から八犬伝をきっかけに和風に、そして現在は洋風和風融合というか、境がない世界。古いものを継承するだけではなく、進化している。

一階の奥には目玉座。一ヶ月に一回、シャンソンと人形がコラボする。できあがったら越路吹雪にそっくりのコウちゃん人形も出演する。和と人形とシャンソン。

花うさぎは、酉年のジュサブローさんの向かい干支という。泉鏡花と同じ。自分の向かい干支の置物などを集めると出世するという。

おあばあちゃんが縫い物をするような、道具類にはさまれた小さな空間が工房という。なんでも手を伸ばせば届くし、アイロンも年季が入っていた。祖母の持ち物を思い出した。かんざしも柘植のくしも布の色も柄も、なんだかとても懐かしい。

落ち着いた気持ちのいい時間を過ごせた。目に心に極上栄養。

仙厓の「さじかげん」「老人六歌仙画賛」「○△□」は前から大好きだけど、今回の没後170年仙厓展は大規模だった。こーんなにたくさん。

馬祖と臨済の対は渋かったし、パイナップルのようなトドは笑っちゃう。いろいろな画風を見ることができた。仙厓は自分の絵を見て笑ってほしい、という。

見ていて頭が楽になるし、肩の力が抜けてほっとする。あるがまま。

そして、権威をものともしない、痛烈な観点はすっきりする。達磨さえも皮肉られる。

仙厓自身のまあるい後姿にはどんな気持ちがこめられているのだろう。座るとは何?と聞こえてきそうだ。

    古池や芭蕉飛び込む水の音

これ、いい!

物にこだわらない禅僧と思いきや、熱心な石などのコレクターだった。すべてのものに仏性があるという表れなのだろう。

今回は「堪忍柳画賛」の絵葉書を買った。

    気に入らぬ風もあらふに柳哉

風だっていつまでも吹いているわけではないよ。

時は流れて、風が吹くからこそ、柳の枝も揺らめくのである。

冬枯れて、春が来るからこそ初々しい目に鮮やかな柳の若葉がまた生まれるのである。

いくとせも四季を重ねると、風もいつかは止むのもわかってくる。

さよなら三角、また来て四角、こんどくるとき丸くなる。△□○と○△□。

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将進酒

将進酒

               李白

君不見黄河之水天上来、

奔流到海不復回。

君不見高堂明鏡悲白髪、

朝如青絲暮成雪。

人生得意須尽歓、

莫使金樽空対月。

天生我材必有用、

千金散尽還復来。

烹羊宰牛且為楽。

会須一飲三百杯。

岑夫子、

丹丘生、

将進酒、

杯莫停。

与君歌一曲、

請君為我傾耳聴。

鐘鼓饌玉何足貴。

但願長酔不願醒。

古来聖賢皆寂寞、

唯有飲者留其名。

陳王昔時宴平楽、

斗酒十千恣歓謔。

主人何為言少銭、

径須沽取対君酌。

五花馬、

千金裘、

呼児将出換美酒、

与爾同銷万古愁。

***************************************************

中国人の先生について、原語で漢詩を朗詠する稽古を受けている。

これはもう、伝統芸能、音楽であるから、

速度、ピアニッシモ、ピアノ、メゾフォルテ、フォルテ、クレッシェンド、デクレッシェンド、テヌート・・・・

そうしてさらに情感を込める。李白はなおさらである。

高いレベルを要求されるから、なかなか難しい。

何度も何度も直してくださる。自分では違うように詠んでいるつもりでも、そう聞こえないらしい。李白は大げさなくらいがいいのだ。

歌うときは立って歌うように、漢詩朗詠も立って詠まないと、お腹から声が出ない。

当時は酒宴に呼ばれて、即興で読む。誰かが筆記したのだろう。推敲はなしということであろうか。王安石はよく推敲をしたというが。

先生は、若い頃は元気だから杜甫がよかったけれど、最近では却って気分が沈んでしまう。やっぱり李白はいいね~、と。

私も李白のよさがわかってきた。素直にいいな、と思えるようになってきた。

この大げささ、豪快さ、壮大さ、その裏で意の通りに登用されないというジレンマ。このジレンマがあったからこそ、いい詩が書けたのだと思う。

今でもよく使われる有名な部分。

    天生我材必有用、

    千金散尽還復来。

玄宗皇帝には酒宴に呼ばれるだけで、今ひとつの反応。

1300年後の私たちには、その才能が十分すぎるくらい伝わっている。

この詩は丹くん(元丹邱)の家に呼ばれたときに、李白がどんどん酔いながら詠んだものだが、名馬も、毛皮も酒に換えてしまえ!、なんて詠まれて大変である。

李白の詩は黙読するより、自分で詠むのが気持ちいいし、元気づけられる。

この詩が伝承されていて、本当によかった。

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