ハニーサックルと新月

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今日は新月。新たなるサイクルの始まりである。

ちょうど庭ではハニーサックルが満開で、小雨にしっとり濡れている。ハニーサックルといえば、バッチのフラワーエッセンスの中にもあり、そのメッセージは過去、変化というキーワードに関係する。

心理的に過去に住んでいる人は、なかなか高次の自己の導きを受けいれようとしない。

時は流動的なのに、過去ばかりに焦点が合い、その世界にひたろうとする。

「私がまだ~だったとき、」「私はよく~こうしたものだ」 そして、過去を悔やむ気持ち。

バッチのハニーサックルは過去と現在をつなげる役目があるという。

考古学者や歴史家は、そのエネルギーがプラスに現れた形。

「過去は特別な価値をもって扱われる」というが、その価値は決して結晶化してしまったものではなく、現代に生かす、生きた智慧となるはずだと思う。

歴史は直線的ではないし、古代が今より劣るわけでもない。

過去へ転生する、未来から現代へ転生する、と聞いたことがあるが、今の段階では誰も証明はできないだろう。記憶を全部持っていたら、歴史がどんどん変わってしまうだろうな。

ハニーサックル服用後にはこんな変化が。

「過去との関係をよいかたちで存続させ、現在を生きる。過去の体験から学びとる。」

この花は強い。イギリスでは垣根に多用しているというが、ヒースの荒地でもよく見られるそうだ。30年もの間咲き続けるという。

手はかからない。虫にもほとんど食われない。

この花を眺めていると、「変化」を感じる。細長い花の集合体で、全体の幅は10センチほどあるのだが、そのひとつひとつの花をはらはらと潔く散らしてしまう。

咲いて、散って、咲いて、散って・・・・。さっぱりしたものである。掃除は大変だが。

新月の日にハニーサックル、とくに我が家の夥しい数のハニーサックルの花々と対話するとエネルギーをもらえそうである。

バッチは花のエネルギーを転写しているのだが、波動としては生きている花そのもののエネルギーの方が新鮮であろう。

水という媒介に意味があるのかもしれないけれど。それであれば、花の上の雫がよいのか。あぁ、最近の日本の雨ではだめだ。

夜になると、ユリにもジャスミンにも似た、けれどもう少し淡くて甘いハニーサックルの香りが庭に満ちて、幸せな気分になる。

嗅いでいる、「今その瞬間」を大切にしたい。秋口まで次々と咲いてくれるだろう。

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沈丁花満開

啓蟄を過ぎ、一雨降るごとに庭はうごめいてきた。

家の壁に寄り添うように、ニオイスミレ。なんてソフトな香り。幾年かけて一番居心地のよい場所を決めたのだろうか。おすまし顔で整列している。

昨秋、ターシャ・テューダーのテレビをみてからそそくさ植えたチューリップや他の球根の芽。一斉に顔を出した。さあ、まっすぐ伸びるぞ!と聞こえてきそう。チューリップは気位が高い、と聞いたことがある。私には凛と潔く見える。

2年前、山梨の桃源郷から連れてきた楊貴妃という名前のひょろひょろしたアンズの木。いつのまにか20近くつぼみをつけた。おじさんが伸びた枝をばっさり切れば、実ができるよ、と言っていたけど、今年は実がなるか?あんずの花の香りは薄いけれど、薄紅色の花びらはまあるくてかわいい。開花はもうすぐ。

千葉県のバラの名門、京成バラ園から連れてきたバラたちも赤シソ色のやわらかい葉を開いて、春の準備をしている。しかし、苗がいいと勝手に育ってくれるものだ。今年もびっくりするほどあでやかな花を咲かせておくれ。

ブルーベリーも元気だ。今年こそ、ヒヨドリに先を越されないようにしたい。実をついばんだときに偶然目が合うと、ビビるのだが、確かに勝ち誇った目をする。そして電線の上でくちばしを上に向けてどうどうと一のみにしてしまうのだ!

その他たくさんの草花、木が色めいてきている。今年の冬は厳しかったからダメージを受けたものもあるけれど、春は来るものである。

沈丁花。日当たりのよいご近所の、生垣代わりの沈丁花は目を見張るほどに満開だ。遥か遠くまで香りの羽を広げている。お見事。

我が家の沈丁花は日陰気味なところにあるので、地味に咲き始めた。けれど、あの個性ある春の香りの存在感は大きい。寒いうちから葉を伸ばし始め、咲き始めると、あぁ、春だな、と毎年思う。

沈丁花といえば、沈香と丁子の香りを併せ持つ、とか沈香の香りと丁子の花に似て、などといわれている。

丁子はクローブだから、アロマや香り染めをする染色関係の人にはなじみが結構ある。一方、沈香、伽羅を日常的に聞いている人は、その在庫状況からして日本においてはだいたい、三千人程度と推定されている。一億人以上のうちの三千人である。だから、説明に手間取る。

主に香関係の業者、香道関係、そして意外に多いのが小説家という。沈香を焚きながらストーリーを練る。

という状況だから、沈丁花の由来を聞いて果たしてどれだけの人が想像していることだろうか。

香りはホントに主観的なものであるから、それはどちらも実際に聞いて、嗅いで感じるのがよいだろう。できれば品質のよい沈香を体験して頂きたいものだ。

伽羅は基本的には新しいものは限りなく、ない、に等しい。高いお金を出すのだから、市販のものは試し焚きしてもらうくらいの方がよい。ただし、それには伽羅の香りがわかっている必要があるけれど。緑油伽羅に出会えれば香りの世界はさらに広がるに違いない。

この香料、どちらも平安時代においては、所有していること自体ステイタスであった。薫物に作り上げ、単に香りを楽しみ、競うほか、消臭、抗菌、教養、たしなみ、センス、権力・・・・。貴重な舶来品は様々なストーリーを生んできたのである。

さて、沈丁花。中国では瑞香と呼ぶ。龍脳は瑞龍脳。春節を過ぎて、まだ三寒四温の中に咲き乱れ、主張のある香りを春風に乗せる沈丁花は、春の吉祥でもあったのであろう。

物心ついたばかりの頃に知った沈丁花。自分の背より高い木に咲く満開の花々は、芳しい芳香とともに春の陽の中輝いて見えた。そのシーンと香りはセットになってよく覚えている。

日本の沈丁花は雄ばかりというから、どこかからお嫁さんを連れてきて、いつか実を成らせてもらおうか。

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謹賀新年 門松

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。みなさまにとって、飛躍の年となりますよう、心からお祈り申し上げます。

暮れから門松が飾られ始めると、いよいよお正月、と気持ちが引き締まってくるものです。この門松、本来は年神様を迎えるためのよりしろとも信じられてきました。神様は松の木を目印に降臨し、そして鎮座するというわけです。それでは、やはり門の周りも掃き清めなくてはなりませんね。

もともとは松だけであったものが、室町時代に竹が加わり、江戸時代には梅が加わって今日のような形になったといわれています。めでたい松竹梅、松が男、竹が女、梅が子供を象徴する、という説もあります。

今でも12月13日に松迎えなどと称して、山から門松を切り出すところが多いそうです。飾るまでは室内の清潔なところに置き、12月30日までには門に立てます。

12月31日にスーパーから買ってきて、そそくさ立ててはNGなのですね。

片付けるのは1月4、7、14日など。

門の前に木を立てたり、置く習慣についてはこのブログで掲載したことがあります。

イトスギ(サイプレス)の十字架では、亡くなった人の家の前にサイプレスを置く習慣があり、

杉の枝の迎え火では、亡くなった人の家のお盆では、仏様が帰宅する目印に杉の枝を飾ります。

松、糸杉、杉に共通するのは、冬も青々とする常緑樹の針葉樹=不死のシンボル、そして、殺菌作用が強い、ということです。

自然を敬い、ときに畏怖してきた先人は木々のメッセージが読み取れたのでしょう。

生命力が強い松は長生きと忍耐強さのシンボルであり、散ってもバラバラにならないところも縁起がよいとされています。

松を浸した黄金色のお酒を頂戴したことがありますが、美味でした。長生き酒とか。

お茶は咳や気管支炎に、エッセンシャルオイルは防腐、殺菌、消炎効果が、バッチのフラワーレメディーは疲労感、無気力感にさいなまれている人によいとされています。

松の実も最近では手に入りやすくなり、おかゆやサラダにトッピングすると、ぐっと高級化しますね。

昨年手に入れた錦松の盆栽、四国の砂だから上等な赤土にかえてやってね、といわれたので、さっそく指定の玄人用のお店で土を手に入れ、詳しく聞いたものの、ついに土を入れかえず年を越してしまいました。

錦松は木肌が割れているところが特徴なのですが、その分ナイーブでもあります。水やりをするたびに申し訳ない気がしています。

ちくちくした葉を触ると、リフレッシュした気分になります。

古い種の松は針葉樹の中でもとりわけ潜在的なパワーがみなぎっているのではないか、といつも感じています。

お気に入りの松は、三保の松原の樹齢650年の「羽衣の松」と浜離宮の「三百年の松」です。

ぜひ、この松の木の下に立ってみてください。気持ちが静かに安らいでいきますから。

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木の王者・シーダー

ケルト暦ツリーサークルでポプラの次はシーダーです。2月9日~2月18日、8月14日~8月23日生まれの人。

「この時期に生まれた人は、用心深く、自分に与えられた運命を、慎重に実現しようとします。決して押し付けがましくはないのですが、自分の内なる声に従ってリーダーシップをとろうとするのです。けれでも、それが成功しようとしまいと、うろたえることはありません。」『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

シーダーはとにかく高木というイメージが大きく、その雄雄しい姿はよくいわれるように王者の風格があります。アフリカのアトラス山脈、アルジェリア、アメリカ、ヒマラヤ、キプロス、レバノンなどに生育しています。

レバノンといえば、レバノンシーダー、ノアの箱舟の船材として有名です。現在は残念ながら、絶滅の危機に瀕しているそうです。旧約聖書の時代には、レバノン山脈にはレバノンシーダーで覆われていました。聖なる森があり、人々は香り高き木の下で過ごし、祈ったといわれています。400本ほど残っているのですが、樹齢は2500年と考えられています。

ヒマラヤスギと比較されますが、その違いはヒマラヤの方は枝が垂れるのに対し、レバノンの方は水平に伸びるようです。葉の長さもレバノンの方が短いのですが、はっきりとした違いはよくわかりません。

レバノンシーダーに似ているヒマラヤスギは生まれ育った家のシンボルツリーです。荒れ狂う台風のときに初めて大きく横へ傾いてしまったことをよく覚えています。知り合いたちも駅で待機しており、私が歩いて出ようとしたら、「今出ては危ない!」というほどの暴雨風でした。やっと帰った頃にはすでに傾いていました。すさまじい風だったことがよくわかります。あんなに気持ちよく、まっすぐに育っていたのに、とがっかり。植木屋さんに直してもらいましたが、なんとなく傾きは残ってしまいました。

そのうちもっともっと成長して、今度は電線にぶつかるようになりました。やむを得ず、伐ってしまいました。それでもどんどん大きくなるので、何回も伐ったようです。今では、幹は太いのに、寸づまり、という姿。本当はのびのび成長させてあげたかった。それでも、一年中変わらぬその木の下に行くと、安心感があります。

シーダーの葉はよく香り、アロマテラピーで多用されます。エッセンシャルオイルに使用されるものはアトラスシダー 、またはホワイトシダーウッド。近縁種のバージニアシダーウッド(レッドシダーウッド、エンピツビャクシン)は木材には適しますが、アロマ的には作用が弱い。作用は鎮静、収斂、抗菌、防ダニ。スキンケア、スキンヘアにも使えます。

甘く柔らかな香りは、包み込んでくれるようでホッとします。私は湯船に入れるのが好きです。底冷えのする冬に使用すると、香りの温かみで体も緩んできます。そして、とても気持ちが落ち着いてきます。そのまま入れると、分離してしまうのでアップルビネガーやズブロッカに数滴入れるとよく混ざります。少々値段は張りますが、乳化材のアルシランに混ぜればもっとよいでしょう。

シダーはまさに森林の香り。ストレスや不安を鎮静する効果が高く、女性、男性の別なく広く好まれる香りだと思います。

アトラスシーダー 900円~2400円 画像をクリックすればお店が表記されます。

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ポプラ・復活

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ケルト暦ツリーサークルでイトスギ(糸杉、サイプレス)の次はポプラです。2月4日~2月8日、5月1日~5月14日、8月5日~8月13日生まれの人。

「この時期に生まれた人は謙虚で、思いがけないことに出会っても乗り越えることができます。また、他人を受けいれ、いろいろな方面に関心があるといいます。」『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

ポプラといえば、なんといっても北海道大学キャンパス内のポプラ並木です。爽やかな青空に向かってまっすぐにそびえたち、ゆらゆらゆらゆら、ゆれるさまは本州から持ち込んだジメジメした暑さを吹き飛ばしてくれるのです。葉が陽光を受けてさわさわと翻るさまは殊更北海道のグリーンな風の気持ちよさを強調するようでした。

ところが、そのポプラ並木は昨年2004年の台風18号により甚大な被害を受けていたのです。51本中、半数以上の27本が損傷(19本倒壊、8本幹が曲折)。写真を見ると、並木に対して垂直の方向の水田にバタンと倒壊していました。被害直後、全国から支援の申し出が相次ぎ、北大側も再生に乗り出したそうです。

そもそも、2001年の段階でポプラは老朽化により、強風や天災で倒れやすいという診断をなされ、すでに倒木も始まっていました。しかし、伐採を計画する北大側と、歴史的、文化的遺産として保護を主張する市民団体がぶつかっていたということです。そして、その3年後、予想されたとおりの事態となってしまったのです。

ポプラ並木の最初の45本は明治45年(1912)に植えられ、その後の補植を経て、現在の姿になりました。成木で30m、寿命は60~70年。寿命を越えて台風の被害に倒れた木もあったでしょう。その中で建て直し可能は1~2本、クレーンで吊り上げ、並木の別の場所に移植するということですが、この30トンにも及ぶ巨木を移植するというのは世界でも稀なことであり、北大の研究機関としての挑戦の意味合いもあるそうです。北大の英知を結集した再生、といわれています。その他は若木を補植え、15年~20年後にはかつてのポプラ並木が再生する予定です。気を長くして待つしかありません。

見た目はそうそう変わらなくても、木の寿命はかなりの幅があります。巨大に成長するポプラの寿命は人間より短かったのですね。そう、ポプラは見かけほど頑丈ではなく、とてもナーバスです。木材としてはやわらかく割れやすいので、主にセルロースや合板に使用されます。樹皮もやわらかく、つぼみ同様食べられるようです。ポプラの樹液でつくる軟膏は頭痛、背中、腰の痛みに効き、芽からつくるお茶は尿酸を溶かす効果があるといわれています。

バッチのフラワーレメディーで、ポプラの仲間では「アスペン」があります。アスペンを必要とする人は、自分を守る殻をもたないで生まれてきた人、感じやすく思いやりのある皮膚の薄すぎる人、と表現されています。ポプラの葉が風に揺れるように、アスペンの性質がマイナスに表れているタイプの人の内面は揺らいでいます。周りの環境に敏感に反応し、時には一挙手一投足が気になり、神経が磨り減ってしまうのです。何かよくないことが起きるのでは、とひそかに恐れを抱いたり、不安感に襲われて震え、冷や汗をかいたり鳥肌が立ったり。けれども、恐れや不安の対象が特定できないため、人に説明することは難しい、と感じている。

アスペンを服用後は、恐怖感や不安感が薄れ、内的な自信が増す、とされています。天にゆだねる、という境地になれるのかもしれません。アスペンは泰然自若への道しるべのひとつになれるでしょうか。

ポプラは水辺が好きで、川辺に根を張り、その周りを固めます。氷河期の大氷河が融けた後、ポプラと白樺が増えたので、湿地帯に他の木が育つようになったといいます。文字通り、地固めの木といえましょう。成長が早く、巨木になりますが、その寿命は長くない。未開の地に後進のためにいち早く根を張り、役目が終わるとドーンと倒れる潔さ。アスペンの性質がプラスに表れた場合の、大胆不敵、克服、復活を連想させます。北大のポプラもきっと困難を克服し、あのすばらしかったポプラ並木を復活させることでしょう
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おおあさ・大麻・ヘンプ(2)

今回はおおあさの古代史について述べてみたい。古くはBC8000年に福井県鳥浜遺跡から大麻の縄が出土、BC4000には中国の浙江省の遺跡から大麻と絹の織物が発見されている。

ここで話題にしたいのは中国最古の詩集である『詩経』ひん風「七月」の麻に対する記載である。『詩経』といえば、周代に編纂され、雅(小雅、大雅、宮廷の宴会、儀式の楽歌)、頌(祭典の舞楽)、国風(諸国の民謡)に分類される。孔子が各地の歌謡3000余編から、305首選定したとも言われる。私たちが現在目にするものは大毛公(毛亨)の注釈によるもので『毛詩』と称される。

その中の、ひん風「七月」は現存する『詩経』中で最も長い詩である。成立年代は争点となっているが、ここでは周代、だいたい今から2500~3000年前くらいと考えておこう。「ひん(表記できず)」とは地名で、陝西省彬県付近という見解が定説とされている。

内容的には一年の農事暦を歌ったものであるが、古のことであり、漢代においてもすでに一定した解釈はなかったといわれている。また、種々の文字の解読も諸説考えられるので、ここでは、だいたいの解釈を記すのみにしたい。

9月(周の暦で)、麻(どの部分かどんな状態か諸説あり)を収穫し、10月に貢納するとある。麻の繊維が納める対象とされていたかは確定できない。染色の記載から、染めやすい絹が対象と考えられるが、麻との混紡もあったのかもしれない。

大麻を指す漢字は「麻」と「くさかんむりに且(表記できず、ショ、ハと読む)」が使われている。音韻の関係なのか、意識的に書き分けているのか。後者は『説文解字』には、くつの中のしき草とあり、他に実のある麻、粗い、黒い、悪い、という意味がある。ここでは実のある麻という従来の解釈があるが、実を収穫できる、つまり雌株の繊維からできる「布の原料」という記載の例も多い。

ここで整理したいのは、近代以降は麻の雌株からは種を、主に雄株から繊維を収穫している。雌株からとれる繊維は粗く、縄などになり衣料には適さないが、「七月」の村ではその雌株の繊維を利用していた可能性もあるらしい。

また、雄株は「台の下に木(表記できず、シと読む))の文字を当て、大麻の実のできないもの、と解釈されるが『大漢和辞典』には「からむし」ともある。なるほど、からむしは宿根草で、種は非常に細かく、栽培は根で増やす。種は確かにあるが実として食用にできるものではない。しかし、からむし自体種類が多く、いったい何を指すのか、そもそも多くの論争がある。

古のことで、わからないことも多いが、ひん風「七月」の村の人々がどんな麻を育てていたのか、興味のあるところである。当時、麻を刈り取る作業は力の要る仕事で、男の仕事とされていたという。豊富な質のいい水も必要である。『詩経』の記載も、昔からの農事暦を伝承され、また他の農業も兼業している麻農家の方が解読されたら、また新しい解釈が出るかもしれない。もっとも、周代のことであるから、現在の気候とはかなり異なることを考慮に入れなければなるまい。司馬遷の『史記』にも、現代では砂漠化に近いような場所が漢代初期には草ぼうぼうの温暖な気候であろうと思われる記載がある。

時は下って、漢代~唐代あたりのシルクロードにおける、織物の発掘物は、毛織物、絹織物が圧倒的に多いが、トルファンのアスターナ遺跡からは麻と絹で織った布靴も発掘されている。ところが、だいたいは単に「麻」としか表記されておらず、いつも残念に思う。

もう少し前の時代になると、BC500~BC300年のザーホンルック遺跡から出土した女児用の毛織物のワンピースにはその保存状態のよさ、デザインの斬新さにまったくもって脱帽した。2500年近く前の出土品がここまで、ほぼ完全な状態で残っているのは、シルクロードの乾燥地帯、昼と夜との激しい寒暖差、強風による。その自然環境がミイラと共にその副葬品の保存状態を最高に保っていたのである。

2500年前どころではない。NHKの『新シルクロード』でも取材された小河墓遺跡、つまり、4000年から3000年前の遺跡からも色鮮やかなストライプの綴織が出土されている。

織物の歴史は確かに古い。しかも、遠い昔にその技術は頂点を究めているのだ。恐らく女性なのであろうが、彼女たちのテクニックはさぞ卓越していたであろう。今でも機織に興味を持つ女性が多いのは遺伝子のなせるワザであろうか。

麻栽培、歴史の話題からシルクロードの織物の話まで展開してしまった。長い長い歴史を経て、今着ている服がある、と思うと感慨深い。近頃は手織物のぬくもりにはまっている。

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おおあさ・大麻・ヘンプ(1)

奥会津の昭和村でアサといえば、おおあさ(大麻、ヘンプ)を指す、と既述した。かつてはからむしと共にいつくしんで育て上げていた生活必需品である。

「タイマ」と音読みすると、たいていの人々は眉をしかめることになる。大麻取締法を連想するからだろう。かつては自分もごたぶんに漏れず、そんな反応をしていたと思う。数年前、ある20代の人から、

「大麻に興味ありますか?誤解しないでくださいね。麻薬と思われてしまうものではなくて、布や紙、食品、神事用、産業用、趣味にもなる万能な植物なんですよ。これからおおあさと言いますから」

このときは、マリファナのイメージ、麻といえばあの涼しいけれどシワシワになる、という知識しかなかったので、食品、産業用という響きはよく飲み込めなかった。その人から赤星君という、君というからには若そうな人物の著書を紹介された。『ヘンプがわかる55の質問』バイオマス産業社会ネットワーク発行 機会があれば本人に注文しようと思っていた。

と、その記憶が頭の隅に移動しつつあるころ、関西で「大麻に興味ありますか?」と同じような質問をされた。このときは壮年の方からである。どうも全国的にいろいろなグループがあるらしい。

那須をドライブしていたとき、ふと横をみると「大麻博物館」の看板が…。そこで、世界のヘンプの糸作りの違いなど、いろいろなことを教えていただいた。帰宅後本を注文。200011月が初版であった。

おおあさ入門にはもってこいの書であろう。全体像が理解できる構成になっている。万葉集には麻にまつわる歌が55首あることから、55の質問ということらしい。その後赤星さんご本人とも知り合う機会があり、彼が開発した製品などいろいろ教えて頂いた。

おおあさは雌雄異株で、問題とされるのは雌株の花穂、葉である。THC(テトラヒドロカンナビノール)という含有成分が向精神薬作用をもたらすため、問題の焦点となっているのだ。もっとも海外ではすでにその花穂の部分も医療目的で使用され始めている。薬効が高いらしい。

現在の産業用ヘンプにはそのTHCがほとんど含まれていない品種を使用している。日本では栽培許可制となっており、盗まれた場合には栽培者の責任となるので、鉄柵で囲み、花穂、葉は灰と帰している。現在、実用されている部分は、茎と根と種の部分である。

おおあさといって、わざわざ珍しがることもない。ただ意識していないだけで、実は私たちの身の回りに昔から根付いているものである。誰もが口にしたことがある七味唐辛子の麻の実、お盆の頃に大概のスーパーに出回るオガラは皮を剥いだ後の茎、神社の注連縄、カランカランと鳴らす鈴縄、凧揚げの糸、花火の火薬の原料、雷様から守ってくれる蚊帳、などなど、枚挙に暇がないほどである。

このようにおおあさは日本でも太古の昔から生活の一部になっていたが、吸引という習慣がなかったにもかかわらず、戦後の大麻取締法によってその地位は一変してしまった。一度ついてしまったイメージはなかなか払拭できないようである。といっても世界では、どんどん新しい使用法が開発されている。

種子から良質な植物油、シャンプー、リンス、化粧品などが一般にも手に入りやすくなり、車のガソリン代わりにもなる。ヘンプビールはそのいい味もあって市民権を得てきた。茎のセルロースからは微生物に分解され土に戻る生分解プラスチックが製造され、知る人ぞ知る、ベンツの内装にも多用されている。重量的にも軽く、もちろんエコロジー対策にもなる。茎の繊維を固めるとコンクリートより強度が高く、軽量、断熱効果のある建材として実用化されている。

くるみの味がする、麻の実の料理やアロマオイルに関する本もすでに出版されおり、麻の実をメニューに出しているレストランも増えてきた。ただし、食べ過ぎると人によってはチョコレートを食べ過ぎたときのような症状になる人もいるので、薬味程度からはじめるとよい。

糸、ひもの分野では麻太郎さんらの活動で、ヘンプアクセサリーがナチュラル志向ではやりだしている。電車の中で立ちながらストラップやブレスレットを編んでいる女性も見かけるほどである。糸の種類や色も増えて、東急ハンズでもかなりの面積を占め始めた。

ここまでは趣味・産業用のヘンプの話である。神事用、および精神世界のおおあさ研究家は中山康直氏。製品開発のほか、大島で縄文エネルギー研究所を主催し、『麻ことのはなし』評言社の著者でもある。天皇が大嘗祭でアラタエ(大麻)とニギタエ(絹)をお召しになることなども記載されている。昔からおおあさは神の依り代と考えられている。ある程度、古神道、スピリチュアル的なうんちくがあった方が読み進めやすいだろう。上記の赤星氏とヘンプオイルを燃料にヘンプカーで日本一周をした人物でもある。

では、麻に興味を持ち、関わる人はどんなタイプか?種別すると、まず、先祖伝来麻を栽培し続けている人々、最近栽培の許可をもらって栽培を始めている、もしくは始めようとしている人々、麻の文化を大切にしている市町村、長野県の美麻村ではフェスティバルも毎年開かれている。趣味、衣服や産業用にエコロジー製品、バイオマスとして開発、麻の有効性を世間にアピール、普及していこうとするグループ、このグループは韓国や中国、欧米の資料も集めている。麻料理、化粧品、アロマテラピーに麻を利用しているグループ、奈良晒し(大麻の織物)、麻を素材に紙のアーティスト、服のデザイナー、オーガニック食品に興味がある健康志向の人々、医療大麻の研究グループ、ニューエージ系の人、などなど、どちらかというと、20代、30代の若いグループが中心的存在である。

そして、忘れてはならないのは、戦前、すでに青年であられた現在70代、80代以上の方々である。精麻を手にすると「ありがたい」と拝むタイプである。神社や神棚に祀るものであるから。からむし(苧麻)とおおあさはどちらが日本では古いか、という話は専門家に任せるとして、植物からとれる繊維、アサは動物の皮革とならんで、人類の生活に古くから関わってきたものである。

ちなみに、布の方面ではおおあさの衣服はしわくちゃにはならない。麻が植物の茎や葉脈からとれる繊維の総称ということがあまり理解されていないだけであって、他の種類の亜麻や苧麻(からむし)のシワになりやすい性質と混同されているのである。なお、おおあさは指定外繊維なので洋服のタグに「麻」とは表記されず、最近では「ヘンプ繊維」とされ、綿と混紡されるのが使いやすいそうである。着心地は上々、電磁波を避ける性質があるとも聞く。そして、からむしよりははるかに手に入りやすい価格だ。

奥会津は昭和村のからむしと栃木県は粟野町の大麻の原麻を仲良く並べると、妙に落ち着く気がする。縄文の記憶であろうか。収穫の喜びなのかもしれない。

次回は一般にはあまり知られていない大麻の古代史について触れてみたい。(おおあさ、大麻、ヘンプ(2)へつづく)

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イトスギ(サイプレス)の十字架

ケルト暦ツリーサークルでニレの木の次はイトスギ(糸杉、サイプレス)です。1月25日~2月3日、7月26日~8月4日生まれの人。

「この時期に生まれた人は勇敢で、不幸にあってもくじけません。また独立心が強く、行動的だといいます」木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

イトスギといえば、南ドイツを旅しているときに車窓から見えた風景が印象的です。やわらかいウエーブを描くなだらかな丘に点々と、しかもひょろひょろと、もったいぶって食べて細くなった綿あめのように生えているのです。どこか懐かしい風景だと思ったのは、セザンヌやゴッホの絵によく登場する常連さんだったから。

アッシリアの首都ニネヴェのアッシュールバニバル王の宮殿から巨大な文書館が発掘され、多くの粘土板が発見されました。そこには250種ほどの薬用植物について記されていたのですが、イトスギも含まれていました。紀元前7世紀ごろですから、今から2600年以上も昔のことです。

キプロス島へイトスギをもたらしたのは、フェニキア人。キプロスはzipernというサイプレスにちなんで命名されました。

イトスギの使われ方は、人の死、墓地、冥界に関係があります。エジプトでは棺となり、ギリシア人、ローマ人は墓地にこの木を植えました。十字架はイトスギから作られていた、という言い伝えもあります。南部ヨーロッパでは亡くなった人の家の前にイトスギを置く習慣があり、棺のそばに付き添う人はその枝を持っていたそうです。

これらはギリシア神話-誤って殺してしまった鹿の墓のそばで、イトスギになった-という話から広がったようです。イトスギはモミの木と同じように緑豊かな常緑樹であり、死に対しての生のシンボルではないでしょうか。

また、イトスギはそれ自体腐りにくく、抗菌性が強いという性質があります。死者が出た家の前に置く習慣などから考えると、消臭、抗菌の効果を期待してのことかもしれません。これは日本の杉玉を連想させます。古の人は死にまつわる物理的な問題からイトスギが守ってくれることを知っていたのでしょう。

アロマセラピーで使うサイプレスのエッセンシャルオイルは、夏のイメージがあります。なぜなら、私は夏の虫除けとして必ずサイプレスと他のエッセンシャルオイルをプレンドしたスプレーを手作りしているからです。いろいろと試してみましたが、自宅近辺の蚊はサイプレスが苦手なようです。ラベンダー、シュタイゲリアナ、ゼラニウムも虫除けになりますが、地域の蚊とかけひきしながらブレンドするのも楽しいものです。化学薬品の虫除けでは吸い込みが心配ですが、手作りならより安心です。

また、サイプレスはリンパの流れをよくするので、某大手エステの痩身レシピではジュニパーの次にサイプレスは欠かせないものとなっています。2時間半のマッサージで2キロ落ちたと聞きましたが、翌日からの代謝もよくなるそうです。

その他、ホルモンに働きかけるため、更年期の多汗症に有効、むくみなどの水分調整に効果が期待されます。子供の百日咳の緩和にもよいといわれています。


ジュリークのエッセンシャルオイルはピュアな香りがします。

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不安に打ち勝つ・ニレの木

ケルト暦ツリーサークルの「モミの木」の次はニレの木です。1月12日~1月24日、7月15日~7月25日生まれの人。

「寛容と正義が、この時期に生まれた人の理想です。かれらは不安に打ち勝つ力があり、勤勉で創造的、そして信頼できる人柄です。多くの作家がこの時期に生まれていますが、それは、ニレの日生まれの人の、創造的な感受性を示す証です。」『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

単にニレといえば日本ではハルニレを指し、だいたいは北海道で生育しています。樹高25~30m、春に小さな花が咲くことからハルニレと呼び、車両材、造作材、ベニヤ板、枕木などに利用されます。より身近な存在としてはアキニレがあり、盆栽として仕立てられることが多いのですが、ニレケヤキと称されることが多いようです。他のニレ科としては、アイヌの民族衣装アットゥシ織のオピウになるオヒョウ、暑い夏に木陰をつってくれるケヤキなどがあります。

ここでのニレは西洋ニレ、欧州ニレ、エルムといい、中部ヨーロッパを中心として、北ヨーロッパ、アジア、北アフリカでも生育し、家具や建築材料として利用されています。

ギリシアではニレは「死」と「悲しみ」のシンボルであり、ビンゲンのヒルデガルトは「ニレは幸福の木。他人に対する妄想や仲たがい、思い込みなどがあっても、ニレの木があると、魔物はそれを激しい怒りや、いさかいなどにふくれあがらせることができない・・・・・」と記しています。

ニレの樹皮を燃やせば空気の精霊に会える、木を焚いてお風呂につかれば怒りや悪意を取り去ってくれて幸福な気分になれる、という説もあります。

バッチのフラワーレメディーにも「エルム」があります。エルムを必要とするのは、普段は非常に有能でリーダー格の人が、責任の重圧や体調などにより、一時的に自信喪失状態となり、弱い存在になっている場合です。エルムのレメディーを服用すれば、内面からの呼びかけに従い、責任を果たす自信が生まれ、自分の才能、可能性に気づく効果があるといいます。その他、この状態に陥っている人に有効な方法は以下のような方法もあり。

時たま自分のための時間をもって息抜きする、計画をたてるときは休養の時間もとる。

「私が引き受けているのは、自分の果たせる範囲の責任だけだ」

肉体的な薬効としては、樹皮の部分が有効だそうです。植物繊維が腸内を洗浄、抗炎、喉、消化器官の鎮痛に効くといわれています。

中国は山東省の斉南に滞在されていた方が斉南あたりに伝わる昔話を収集されており、その中に「楡の木の精 譚振山故事選」という話がありました。斉南といえば、旅の途中で山東大学に宿泊させてもらったことがあります。それまで紙のようなパンをかじったり、しなびたみかんを食べ、栄養も足りずに疲れ果てている貧乏旅行でした。

その日の夕食をどうしたものかと宿舎で考えているところへ、初対面の日本人留学生が現れ、ホテルのバイキングへ連れて行ってご馳走してくれた、というありがたい経験をしました。上記の昔話は斉南あたりで飢えている人間たちをニレの木が救ったという話。偶然にも同地方で飢えていた私にご馳走してくれた人はニレの木の精だったのでしょうか?!不思議な類似性に驚きつつも、ぜひその昔話をご紹介したいと思います。全文をお読みになりたい方は、昔話の専門家である、寺内重夫さんのホームページをぜひご覧ください。

あらすじ:中国の七星山の麓の村は日照りにあい、食料に困っていた。ある日、親のいない若者、王小が空き腹をかかえて山に野草を採りにでかけたが、禿山には一本すら生えていない。困り果てているところ、偶然岩の隙間に小さな楡の木をみつけた。この荒れた山の中で強くたくましく生きている黄色い葉を見て、王小はひとつぶ涙を流す。するとどうしたことか、楡の葉は緑色に変わったのである。それからというもの、王小は毎日のように山へ通い、楡の木を慈しみ育て、やがて実がなるようになる。

そこで彼は飢えている村人に楡の実を分け与え、日照りをどうにか越すことができたのである。そして、ある日、王小のもとに美しい楡の精が現れて、助けてくれたお礼、と王小の嫁になると申し出た。嫁をとるには貧しすぎる彼に、楡の精は楡の実の形をした金貨を与えたのである。王小は村人にもその金貨を分け与え、その村は豊かに暮らした、とさ。

この中国の昔話を読むと、ケルト暦のニレの木の期間生まれの性質、すなわち、勤勉で創造的、信頼できる人柄で(村人たちにも楡の実、金貨を分け与えた)、不安に打ち勝つ力があること、バッチのフラワーレメディーのエルムの性質、一時的に自信喪失状態(日照りで)になったけれども、楡の木という友人を得たことにより立ち直っていくというストーリーが、楡の木の性質をよく表現しているように思う。

日照りによる死の恐怖と悲しみ、不安、自信喪失、苦しみ、村人を救う責任感。その状況はニレの木の登場により幸福へと変換する。ギリシアの神話、ドイツのセラピスト、ギーゼラ、イギリスのバッチ、中国の昔話・・・・、ニレの木の性質は底辺ではつながっているようです。

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生命力の象徴・モミの木

ケルト暦のツリーサークルで「りんご」の次はモミの木です。1月2日~1月11日、7月5日~7月14日生まれの人。

「この時期に生まれた人は、自己防衛本能が強い傾向にあります。傷つくのを恐れて他人に心を開けず、保守的なところもあります。けれどもいったんうちとけると信頼できる友人になれる人です。」『木の癒し』ギーゼラ・プロイショフ著 小川捷子訳 飛鳥新社

モミの木といえば、開口一番「クリスマスツリー」となりそうですね。クリスマスツリーの起源に関する伝承は数多くありますが、ドイツが中心のようです。ドイツ中部の山岳地帯ではモミの木に住む小人が村に幸福を運んでくれるという信仰があり、花、ロウソク、卵などをモミの木に飾りつけ、その周りを踊りまわっていたのに発するという考え方、8世紀に聖ボニファクスが布教の途、異教徒たちにとって神聖な木であった樫の木を倒し、代わりにモミの若木を新しい信仰のシンボルとして差し出した、という話。中世ヨーロッパで人気のあった「エデンの園」の劇の中でりんごをつるさげた木がモミの木だった、などなど。

もともと、キリスト教が布教される前から祭りに木を立てるという習慣は、広く行われていましたが、教会としては排斥すべき「異教的」習慣とされていました。ところが、普仏戦争のとき、ヴィルヘルムⅠ世がクリスマスにモミを配ったのをきっかけにドイツに広まったという説もあります。

マルチン・ルターは宗教改革のとある夜、森の木の上に見た天に輝く星を見て感動し、自宅でモミの木にロウソクを立て、そのルター家の様子が絵画になったことにより、民間に広まったそうです。

私は、ある星の降る夜、キャンプ場のテントの中で眠れぬ夜を過ごしていましたが、ふと夜空を見上げると背の高い木々の葉の間から天の星々がダイヤモンドのきらめきを惜しむことなく散りばめているではありませんか!「あぁ、これはクリスマスツリーだ!」と感激したのを思い出しました。

いずれにしても、常緑樹であるモミの木を「生命力の象徴」として神聖視されてきた経緯がからんできます。冬は闇、死、寒さを象徴し、その中でも青々として葉を保っている常緑樹は希望、堅実さのシンボルとされてきました。日本では松、杉、榊、などを神木とし、万年青(おもと)も縁起がよいとされていますが、緑に対する生命力のイメージは古今東西同じようです。

モミの木の話はクリスマスツリーよりさらにさかのぼります。古代ギリシアではアルテミスにとって神聖な木であり、「トロイの木馬」もモミで作られていたといわれています。

上記の本『木の癒し』に、ドイツの民俗学者、フレデリック・ヘッドマンがフィンランドのボチャークの人々の習慣について記しています。ボチャークとは現在ではウドムルト共和国といい、ヨーロッパ、ロシアのボルガ川中流域、カマ川とビャトカ川に囲まれた地域で、ウラル語族フィン・ウゴル族に属します。

そのボチャークの人々はモミを神聖視し、特定の枝を家族の守り神をとし、その枝にパンや肉、飲み物を捧げたり、葬式の帰りには、墓地から家までずっとモミの枝で体をたたき、悪霊が家までついてこないようにしたそうです。ボチャークの人々は祖先を祀ることを民衆信仰の基本にしたので、アジアに通じる要素があるようです。他にアイヌの儀式と比較したくなる祭りもありましたので、次回ご紹介しましょう。

モミの樹脂は殺菌力があり、新芽には豊富なエッセンシャルオイルが含まれています。その香りは暖かく、ウッディー。体力をつけ、不安やストレスを鎮める作用があります。目をつむって深くその香りを吸い込めば、そこは小人のささやきがかすかに聞こえる深い森。

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