カエルとポータル

さて、カエルについての伝承、言い伝え。「カエルが鳴けば明日は雨」これはどなたでも聞いたことがあることわざだ。田んぼの近くに住んでいる人に聞いてみると、田んぼに水が入ると確かによく鳴くという。湿度を体全体で感じることができるのだろう。

カエルのグッズもなじみが深い。どんなご利益があるのか、分類してみよう。

形態:口が大きいので財運を集める。中国では三本足のヒキガエルの置物があるが、なぜ三本足かというと、自分の前方と左右にある財をすべてかき集めるため、という。日本でも小さなカエルの作り物を財布にしのばせたり、財布のストラップにすれば財運がよくなるというのはほぼ常識だ。

生態:水辺に住んでいることから、江戸時代は火災や火傷から身を守るとされていた。

語呂:無事カエル、若ガエル、などコトダマ的な発想から、交通安全、旅行などのお守りへ。

その他、縁結びというご利益もあるらしい。沖縄やバリ島でも魔よけの置物としてポピュラーで、ヨーロッパでもカエルは縁起物だ。見るからに魔女のフランス人の友人は世界中のカエルの置物をコレクションしている。そういう人は珍しくないという。

ここまでは、ちまたにあふれるカエルパワーのうわさ。実際にお金をくわえてもってくるわけでもないのに人々はカエル効果を楽しんでいる。以前読んだ話にはこんな観点の解釈がある。

カエルが鳴けば、時間のポータルが開く。これはどう理解すればよいのだろう。こういう生き物は神の使い、と考えていた昔の人もいた。人間には感知できない事象を感知できるからだろうか。

鳥も鳴く、せみも鳴く、秋の虫たちも鳴く。日本人はとくに西洋人と違う脳の部分でこれらの音を処理するから、カエルの鳴き声もなんらかの効果があるのかもしれない。風流という面の他に私たちの聴覚を刺激して、季節を感知させたり、あるいは癒しの効果があったり。地球のエーテル帯やオーラに、はたまた異次元に働きかけをしているのかもしれない。

アメリカ・ネイティブのストーリー・テリングの文字化、『ジャンピング・マウス』ヘェメヨースツ・ストーム他 述・著 北山耕平 解題と再話 太田出版  に登場するカエルもなかなか渋い役をしている。主人公のマウスに「どうだね、おまえさんにも、この不思議な力、メディスン・パワーを、すこし分けてしんぜようか?」そして、ストーリーのクライマックスでは実に威厳のある物言いになった。マウスはあたかも創造主から預言されているように聞こえる。このケースではまさにカエルは神の依り代であろう。上記の本の解説では「メディスンマン、知者、未来を見る人」とある。

一般に憑依体とされる樹木、岩石、動物、御幣などの中からカエルが世界の物語の中でも頻出するのはなぜか?おなかをさすれば死んだふり、そのコミカルな風貌も味があるが、両生類という「水と陸の境目」に生きる生物、という位置づけが「あの世とこの世の境目」とダブりそうだ、と考えている。川が生者と死者を分ける境目というのは、三途の川に限らず、他の民族にも伝わっている。今夜は盆むかえ火である。

カエルひとつとっても、種類、飼育方法、天気予報、ご利益、物語、依り代と切り口は多様だ。ちなみにカエルの味は塩味が似合うあっさりした鶏風味。まのびした姿焼きには閉口した覚えがある。

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ジャンピング・たまこ

「たまこがいない!!」「え~!そ、そんな!」

みんなでそこら中を探してもなかなかみつからない。すみのほうに頭を突っ込んだ者が「きゃっ!」 たまこは、果たして前髪に飛びついてきたのである。まさにジャンピング・たまこ!ぴちょっ、ホッ。

夕飯時まで確かに、水の中で泳いでいたのだから突然いなくなるのはおかしい。というのは無知のしわざ。たまこはアマガエルになったのだ。お財布に入るほど小さな体にはまだ長い尻尾がたれている。

もらってきたときはまだかぼそい後ろ足が二本の状態の「おたまじゃくし」。近くの田んぼから救出してきたというが。口はまだパクパクと魚の丸い形で、目もまだ魚っぽかった。それが二日もすると口が左右に広がり、頭の部分が四角くなってきた。前足が出る準備である。

早朝、小さなピンクのバケツを上からのぞくと小さい右腕が伸びていた。バランスが悪いのか、いつもより泳ぎにくそうに見える。そろそろ、砂利を寄せて上陸の準備をしてあげなければならない。えら呼吸ももう少しで終わりだ。わりばしで砂利を寄せると、すぐさまたまこは顔を砂利に乗せた。へえ~、これは本に書いてあるとおりだ。

左腕が出る予定の場所が膨らんでいる。今度はいつ左腕が出るか気になってしょうがない。蝶ではないが、腕が出る瞬間を目撃できたら、それはもうけものだ。右腕が出たことに気づいてからおよそ3時間後、通りざまにのぞいたら、出ていた!ちゃんとちいちゃな吸盤もついている。しかし、疲れたのか、長い尻尾も動かさないままボーっと水面を漂っているだけだ。少々心配になってバケツを揺らすと、尻尾だけはひょろっと動かした。もはや魚の目ではない、まるで古代エジプトのレリーフのような目は未来永劫を見つめている。実に哲学的な眼差しだ。

それから私は安心して外出、夕方の帰宅後確認したら、たまこは元気になって泳いでいた。冒頭の事件はその何時間後かに発生したのであった。

昔、友人がおたまじゃくしをたくさんバケツで飼っていたが、ある朝起きたら一匹残らずいなくなり、それから近くの田んぼは毎夜カエルの合唱でにぎわっていた、と話してくれたことがある。その脱走を今回身をもって体験したわけである。朝まで泳いでいたのに、夕方には初ジャンプ、空気のある新天地へ飛び上がったのだから、すごい勇気だなと思う。いや、飛べてしまったのだろう。カエルのジャンプ力は侮れない。DNAの成せる神秘のショー。

カエルの変身は小さいころは、そういうものだ、と思って単に現象を観察するのみだったと思う。大人になってから目の当たりにすると、これは人類の胎内での進化と重ねあわさずにはいられない。現在では初期の胎児の発達がリアルタイムでも見られるが、古の人はどう感じていたのだろうか。次回はカエルの伝承に関して記してみたい。

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