刀削麺と小麦

旧正月の15日、元宵節の前日、久々に中華街に行ってきた。いよいよ春節もフィナーレ。

   元宵節のあん入り白玉だんごではなく、刀削麺目当てである。

中国では意識せず食べていたはずだが、日本でわざわざ食べに行ったことはない。

テレビのコマーシャルでは、練った小麦の塊をぐつぐつ煮え立つ熱湯の中へ勢いよく削り落とす場面があり、すでにお馴染みであったが、どうも、最近中華街で刀削麺が特にブレークしているらしい。ただし、中華街でも刀削麺のメニューがあるところは3件ほどという。

刀削麺といえば、山西省の家庭料理。山西省は北魏時代、平城、現在の大同市に都を定められたことがあり、雲崗石窟が有名である。今は地方都市で、一緒に旅をしていた中国の友人が道を聞いても「何て言っているかわからない~」と路頭に迷ったことがあるほど。日本でもおじいちゃん、おばあちゃんのご当地弁が聞き取れないことがままあるように、山西省の言葉は聞き取りずらいけれど、その独特なアクセントは温かみがあってほのぼのした気分になれる。

中華街パーキングに駐車した。ここは観光地図がおいてある道の駅のようで、休憩したり道順を確認するときに便利である。

実は目当てのお店の場所はまったくわからなかったし、おまけに店名も忘れてしまった。

ところが、なんとなく雰囲気に誘われて3回曲がったら、自動的にそのお店の前に到着。くんくん、匂いがしたのである。

店名は「杜記」。看板を見たとたんに、ああそうだ、と思い出した。間口は狭いが、数人がすでに並んでいた。昼間はもっと行列していたのだろう。外に貼ってあるメニューを眺めていると、期待感はどんどん高まっていく。

20分もしないうちに店内に入れた。私たちが座った奥のテーブルは白檀をベースとした濃厚なお線香の香りが立ち込め、料理人と配膳のおねえさんが調理場の音に負けない現地語でまくし立てている。接客の態度も昔の現地に近いかも。

ほどなく目の前に「ぽん!」と置かれた大きなどんぶりの数々。私は高菜スープベースで、ピリリとした辛味と奥行きのあるしょうゆ味がよくからまった刀削麺。手で削るため、厚いところと薄いところがあり、びらびらと波打っている。その特徴こそスープやたれとよくからむ所以で、コシのある食感がたまらない。

確かに食べたことはある。そういえば、山西省のお隣、陝西省・西安でジャージャー麺を立ち食いしている人をよくみかけたが、確かにこの麺だ。しかし、このお店の味は日本的に少しはアレンジしているのか、八角の味も強烈ではなく、やはりおいしい。くせになる一品であった。

この刀削麺のワザ、一人前になるには10年を要するとか。目にも留まらぬ職人芸である。

餃子は北がメッカ、大連の餃子は格別だった。麺は南。南船北馬をマネすれば、南麺北餃子、その中間の山西刀削麺?

山西省は内蒙古、河北省、山東省、陝西省、河南省に囲まれた、様々な文化の行き交うところ、そこへ小麦生産が豊富なこともあって、水餃子の皮の食感に似た麺が好まれたのかもしれない。コシのある長い長い水餃子である。

そもそも、麺はどこからきたのであろうか。同時発生ということももちろんあるだろう。でも、それは、小麦、大麦の栽培が焦点になることは否めない。

チベットではザンバという、麦の一種を煎ってバターと混ぜた食品がある。もともとは麦を煎ってそのまま食べていたが、西から石臼がもたらされたあとは、粉にひき、バターなどで練って、伸ばして、切って、加熱して食べるようになったという。

ここでのキーワードは西。シルクロードである。紀元前2000年~紀元前1000年の小河墓地の副葬品の中に麦があったことは記憶に新しいであろう。

石臼という文明の利器があったからこそ、粉末状の食品ができる。そうなると、液状のものを混ぜて練ってみたい。切ってみたい。こんな思いつきから麺は生まれたのではないか。

あらゆる智慧がシルクロード経由でやってきているようだ。

今回は刀削麺から、チベット、シルクロードの麦栽培、石臼、に想いを馳せてみた。

刀削麺は神田、銀座にもあるというから、ぜひ今後の課題に入れたい。シルクロードの終着駅には魅力的なものがたくさんある。

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長ネギざんまい

お正月は寒くて仕方がなかったのに、近頃からだが温かい。気温はそんなに変わらない。そして気持ちよく眠い。

     その要因は、最近始めた長ネギざんまい

新聞で、多摩動物園のチンパンジーがナマの長ネギを右手でつかんで丸かじり、左手に持った長ネギを小さな子供にもかじらせているのを見たのが、そのきっかけである。

チンパンジーも人間と同じように風邪をひくが、昨年からきんかんのはちみつ漬けの他に、長ネギをプラスしたところ、今のところ誰も風邪をひかないというのだ。

料理の脇役が多い長ネギだが、立派に主役になれる素質を十分に持っている。

手始めはシンプルに長ネギを3,4センチほどに切って、黒ごま油で炒めて仕上げに醤油をかける。これなら結構量が食べられるし、甘みが出る。普通の白ゴマ油で塩をまぶしてもおいしい。

これはマニヤックな方法だが、『医心方』の中に、鑑真が長ネギを酢で煮ると、確か神経によい、というようなことが書いてあったのを思い出して試してみた。家中酢の匂いが立ち込める。これだけで風邪予防である。味は刺激的。

熱を加えたほうが甘みが出るのだが、薬効はナマのほうが期待できるという。

ラーメンの他の具の上に大量の薄くスライスした長ネギをまぶしたものを食した後、猛烈な睡魔に襲われた。ネギラーメンを食べたら、午後はたっぷり眠くなるということ。

お気に入りのリンデンとカモミールブレンドのハーブティーも気が遠くなって眠くなるが、この長ネギはもっとパワフルであった。

長ネギの薬効は、消炎、解熱、発汗、不眠解消、疲労回復、ビタミンB1の吸収を高める、健胃、整腸、頭痛、冷え性、下半身のむくみ、膀胱炎改善、利尿、など。

原産地の中国では紀元前から栽培され、薬用植物して珍重されていた。

長ネギの匂いはにんにくと同じアリシン(硫化アリル)という揮発性の成分で、これこそ効能を引き出す成分だそうだ。

薬膳としての使い方の他にも、沢山の使用法がある。

風邪で鼻がつまってどうしようもない時、鼻の長さに合わせて縦割りした切り口の方を鼻に当てると、そのうちすっと鼻が通ってくる。

夜も眠れないほどのどが痛い時、蒸したタオルの上に長ネギをそのままの長さで剥いて、ヌルヌルする方を直接のどに当てて、ぐるっと首をくるむ「ネギ湿布」。すごい匂いだが、これは本当に効いた。咳止めにもなる。軽く火であぶる方法もあるという。

その他、耳の炎症、タコ、マメ、やけどなどに使用する伝承もある。

「冬には白いものを食べなさい」という民間医の言葉を教えてもらったことがある。

だいこん、かぶ、ネギ・・・・

昔から伝わる智慧である。

風邪をひいてから薬に頼るより、身近な智慧を使ってぜひ予防したいものだ。

そして、深谷ネギ、下仁田ネギも美味だけれど、せっかくなら「身土不二」、近くでとれた長ネギも食したい。

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プレミアムしょうゆ

縁あって、期間限定販売のしょうゆを頂いた。

亀甲萬(キッコーマン)の「杉桶仕込のしょうゆ」れんが蔵製 250ml

「本品は国産の原料のみを使用し、年一回、秋十月に仕込んで自然の気候の中で一年間かけて熟成させた当社の伝統と技術の結晶です。」

ラベルには遠く富士山をバックに上半身裸で、大きなしょうゆ樽を手作りしている古の職人。

千葉県の野田工場のレンガ蔵の中の杉桶でしかできないしょうゆ。

先に書いておこう。このしょうゆ、一部は高級料理店へ納入され、野田工場へ足を運べば一般人にも手に入るが、数が少ないこともあり、発売後数時間で完売。というまぼろしのプレミアム商品だそうだ。

開封し、かなり期待しながら、まずは香りをかいでみる。しょうゆに砂糖を溶いてもちに塗って焼いたような甘く香ばしい香りがした。おいしそうなものはもちろん、毅然としているが奥ゆかしく上品。

青い椿の花模様の小皿をとりだし、一滴そのしょうゆ。しょうゆはムラサキとも呼ぶが、一瞬透明感のある赤紫がお目見えした。清澄な色である。

香り、色、と確かめて、いよいよ味である。

甘い。舌に染みこむその甘さは天然の微細さが感じられる。甘さの後ろに塩辛さ、ほんの少しの苦さ、やわらかいすっぱみも加わり、いわゆるバランスのとれたうまみあふれる丸みなのだ。甘・辛・苦・酸・塩の五味が調和している。

天然自然のなせるワザである。3種類の微生物、麹菌、乳酸菌、酵母の三位一体の作用により、しょうゆらしくなっていく。

しょうゆだけ何度も味見したくなるなんてよっぱど珍しい。普通はしょっぱくってギブアップだ。調理のときに砂糖やみりんを減らすことができるのではないだろうか。

調味料には気をつけるほうなので、結構高値のしょうゆも購入しているが、味という点ではこの杉浦仕込のしょうゆは最高ランクに5つ星である。皇后様のご実家の正田しょうゆも手に入りづらいが好みである。

外国にある程度の期間いると、しょうゆが恋しくなることが多い。タヒチのマヒマヒという味の薄い白身の魚、しょうゆをかけたらもっとおいしかっただろうに。

日本の空港に戻ってくると、しょうゆの香りがする、という意見がある。日本の香りの代表的なもののひとつであろう。

日本の味噌、醤油、酢、酒はまさに醸造文化、微生物との共生の智慧でもある。

これからもずっとお世話になるしょうゆ、もっともっと知りたくなった。

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いなにわそうめんと極上箸

寛文五年堂の「いなにわそうめん」をゆでて、さて食べようとしたらいつもの箸では食べにくい。青山の小粋な箸専門店でみつけた手作りの桑の箸で、結構気に入っているのだけど、ナチュラルな丸型だからこそ箸先がぴったりあわないのである。

    そうだ、お出かけ用のMY箸を使おう!

金茶の地に白の絣模様の箸入れからスルスルとお出ましした竹の繊細な箸。とりわけ、おそばの時には大活躍。

さっきまでは幾分でも力を入れないとうまくつかめなかったのに、この箸にしたとたんにすんなりとつかめ、ジレンマなく食すことができるのである。しかも素朴においしい。

この箸、ただものではない、のだ。

代々木のアースデイ、喧騒から離れた場所にその箸はそそと並んでいた。motherbirdという箸袋・箸ふくさの製造、販売元のご主人が方々めぐってやっとめぐり合えた極上品。説明を聞いているうちに、その情にもほだされて、いい買い物させてもらいました。出会ったおばあちゃんの智慧に習ったという箸入れは、日本伝統の「折り」のセンスが生きています。

九州は日田天領水で有名な大分県日田市。小関工芸のやまご箸

数十年から数百年手入れしてきたの樹齢3年以上の日田孟宗竹を竹林から大切に切り出し、ゆっくりと天日干し、竹の繊維を切らないようにして、しかも塗料一切なしの角型箸。

角型だからこそ箸は頭部から先部まで、隙間がまったくなくぴったんこ。

塗料なし、先端は1.5ミリの細さ(1.3ミリからある)。これならすべらずゴマ一粒までつかめます。「いい仕事してますね」の一品です。

「おそばがおいしく食べられますよ!」

それを確かめたくて、買ってからまもなくしてから、お気に入りの栃木の出流そばの「いずるや」へ。松本のおそばも麻布十番の更科も好きだけれど、細くてコシのある出流そばは洗練されて味も香りもよい。隠れたファンも結構多い。いずるやでは豪快に一升盛がおすすめ。

ほんと、おいしい。箸を持っているのもわすれるほど。食べることに専念できるし、何より口触り、舌触りがよく、箸に染みるつゆもそのままの味。セルフで取り出す割り箸のささくれが触ることもない。

割り箸は間伐材といわれているが、実は年間250億膳も消費されるうちの90パーセントは輸入に頼っているという。日本人が使う割り箸のために、外国の木がわざわざ伐られているのだ。中国の度重なる洪水も乱伐によるところが大きい。

話はそうめんに戻る。秋田の稲庭うどんは有名だが、私が食べているのは寛文5年堂の「いなにわそうめん」。細くて長い。34センチ。最も権威のある国際食品品評会「モンド・セレクション」で最高位の大金賞受賞に輝いたそうな。なるほど、日本中の食通をうならせたわけだ。

そうめんの製造工程では欠かせないといわれる油を一切使用しておらず、寒造りで塩と水の微妙な塩梅によりその美味を引き出した。油に頼らずここまで細く長くできるのは、受け継いできた伝統製法のなせる技、だそう。

この細く長いそうめんには、やまごの細く四角い箸が大活躍したわけだ。箸によってこんなに味も食べる気分も変わるなんて。~そうめん、箸を選ぶ~

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薬膳料理・冬虫夏草との出遭い

北京の薬膳料理店でのオフィシャルな会食に出席する機会があった。まだ、薬膳料理という名が日本ではなじみがない昔の時代である。中華料理店で知らないうちに食べていたことはあるかもしれないが、意識したのはそのときが初めてだろう。

会場への道中、真冬の北京は零下10数度。凍えるどころか、体の表面は痛く、骨の髄がきしむほどの日だった。そんな日でもアイスキャンディー売りの声は容赦なく響き渡り、寒さを増長する夕闇時だった。

こぎれいな場所にしようということで、雑誌にも掲載された北京でも有数のレストランに予約をとった。日本側、中国側は大きな円卓に着席し、次々と運ばれてくる絢爛豪華な品々に皆、舌鼓を打った。そのコースはかなりの金額だったと思う。

店長もわざわざ説明に姿を現した。四川省料理がベースだが、それほど辛くはなく、その当時は中流以上の客筋で、繁盛しているようだった。

和やかに会が進行しているさなか、

「このスープには冬虫夏草が入っています」

「えっ?ム、虫・・・・・」

今からずいぶん前だから、聞いたこともないその虫なのか草なのかわからない食材に、体は窓の外の世界のようにフリーズしてしまった。驚いてももう遅い。そのスープは飲み干してしまった。

その後の料理も様々な薬膳料理のメニューでおいしく、会もスムーズに終わったのだが、虫のエキスが舌に絡み付いているのだから、顔はにこやかに、しかし複雑な心境のまま帰路についた。

宿に帰ると、ぽっぽ、ぽっぽ、体の芯から暖まっているのがよくわかる。その暖かさは翌日まで結構長い間続いて、凍てつく寒さを忘れるほどだった。これぞ薬膳料理の醍醐味なのかもしれない。それからもそのレストランはお気に入りでよく通った、が、冬虫夏草はそれっきり注文しなかった。

今や、冬虫夏草といえば知らない人はいないくらいになった。サプリメントにも入っており、手に入りやすいし、その高い薬効は注目を浴びている。但し、そう安価なものではない。

そもそも冬虫夏草とはどんなモノなのか。冬は昆虫、夏は草って?

虫の昆虫や幼虫に寄生して、完全にその体をのっとって命を搾り取り、たくましく生きるキノコ類である。再び虫に戻ることはない。そのキノコはミリタリス冬虫夏草とシネンシス冬虫夏草に分類される。昆虫は日本ではセミ、蜂など数百種類、中国ではコウモリガのみに寄生するといわれる。

中国の歴代皇帝がこぞって不老長寿の妙薬と求めた冬虫夏草。誰が始めに口にしようと思ったか、昔の人は直感が鋭かったのだろう。漢方の智慧は脈々と切れることなく、後世の人間にも恩恵をもたらしている。

薬膳料理を教える学校としては、薬膳料理研究家、板倉啓子さんの板倉料理学院(富山)が日本では初めてだそうだ。1992年スタートというから、私が知らずに冬虫夏草を口にしてからだいぶ後のことである。板倉さんの薬膳ハウスというウエブでは保存剤なしの冬虫夏草入りエキスを販売している。夏バテにも効きそうである。

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獣食とマタギと不食とジビエ(2)

公の肉食禁忌は明治以前であるが、その風習は太平洋戦争後も地方では残っていた。「あの家は豚を、あの家は兎を食べている」と各家ではよく知っており、「でもうちは食べない。なぜなら、飼っているとかわいそうになるから」。魚を食べる地方の人は、東京に出てきてから肉食の習慣ができた人も少なくないという。

ここで記しておきたいのは、神道の世界が必ずしも肉がタブーではないことである。幣帛として、鳥獣を供えることがあり、鹿や猪は俎上にのる。

一方、『日本書紀』や『古事記』より以前に書かれたとされる、古史古伝『秀真伝(ほつまつたえ)』には、肉食をしたときには穢れを浄化するために大根やカブを何日間食べる必要がある、と記している。『秀真伝』は正史とみなさていないが、年代的に考えると肉食禁忌の思想は仏教伝来よりもはるか昔なのかもしれない。

霊能者や精神世界の人たちは、肉食をすると「魂が重くなる」と説明する人もいる。ベジタリアンは言うまでもなく野菜食であるが、アカシックレコード解読のアメリカ人、ゲリー・ボーネル氏は野菜でも土の中の大根やにんじんなどの根菜類は食べないという。これはある特殊な目的によるらしい。

それどころか、最近では不食が話題になっている。人によっては水とサプリメント、小食、とスタイルは異なる。昔、とあるエリート高校の文化祭で、未来をテーマにした劇を上演していた。未来人は数粒の錠剤だけで生きている、という話。演じていた男子生徒が立ちながら一錠を飲む姿が目の裏に焼きついている。時間は節約できるし、食糧問題解決にもなるだろうし・・・でも文字通り味気ないかな、と感じたことを思い出す。食はコミュニケーション、愛という考え方もあるし、人と食との関係は?もっと踏み込んで考えると、そもそも人はどんなエネルギーによって生かされているのか?深いテーマに展開していきそうである。

ここで獣食に立ち戻る。獣食というと、ジビエを思い出す。フランス料理のgibierのことで、狩猟による鳥獣肉料理を指す。鴨、雷鳥、山鳩、キジなどの鳥類と鹿、猪、兎などの獣類が素材で、狩猟の季節のメニューである。いつか、東京でも有数のフランス料理店で鹿肉のジビエが出たことがあるが、今までの鹿肉のイメージを完全に覆すものだった。ある平家部落の歴史を持つ温泉宿で出てきた鹿肉は冷凍の薄切り。食べ慣れないせいもあるし、かわいそうな気持ちもあって味はほとんど感じなかったが、そのコース料理のジビエは軟らかくコクがあった。

狩猟民族の命をつないでいた肉食が、現代ではジビエとして、料理人の経験、智慧を重ねて、高級料理に変じている。グルメという言葉に転じている。

中国料理には肉が入っているものの、その量に応じてとるべき野菜の量も決まっている。医食同源の長く続いてきた智慧が込められているのだ。一方、日本では戦後、肉の摂取量が増え、その他の食生活の変化によって、疾病の形態も変化してきている。日本人にとって、文明開化から始まった牛肉の摂取。その歴史はまだまだ浅い。

獣食とマタギと不食とジビエ。『イオマンテ』という絵本から、命、風習、食、健康、魂と肉食の関係、生命エネルギーのもとは?とテーマは展開していってキリがない。

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獣食とマタギと不食とジビエ(1)

アイヌの儀式『イオマンテ』の項で、熊を食す例を紹介した。アイヌの最後の狩人、姉崎等氏は生涯で60頭の熊を獲ったという。熊の狩人といえば北日本のマタギを連想する。

マタギという名の語源には諸説ある。シナの木の皮からつくった織物の名から、マタギが持っていた股木から、アイヌ語のマタウンバ(雪山で狩をするもの)からきているという説など。神の依り代である常磐木の杖を持っていたことから、山、樹、人との深い関係性をみることができる。イオマンテのように残された子熊を育てるという風習はないが、山の神=女神のご機嫌をとる、たとえば、美しくないオコゼを供えるなどの儀式はある。

イオマンテの中では熊の親子を共に殺さないが、それをタブー視する風習があるかららしい。マタギと同様、山の神=女神という考え方を母熊に投影させると、小熊は切り出される山の樹と同じように考えられないか。「大工さんに伝わる怖い話」とリンクしそうである。

マタギも山の神に対する儀式をして、獲物は均等に分けて食べていたという。独り占めはご法度である。この共同体の智慧が長く伝承されていた。ところで、現在も熊の肉は缶詰になっていたり、旅館のメニューになることもある。次に獣食の歴史について触れてみたい。

縄文時代は鹿、猪などの狩はしていたが、主食はよくあく抜きをしたどんぐりなどの木の実で、犬は狩猟犬として使い、発掘結果から埋葬も人間と同じように丁重であったことがわかる。弥生時代では犬の骨はバラバラになって発掘されており、犬を食べる習慣が持ち込まれたらしい。

その後、676年、天智天皇の世、肉食禁止の詔が出された。これは仏教渡来による不殺生の思想とみられる。牛、馬、犬、鶏、猿の5種で、禁止は4月から9月の農耕期に限られていた。実際に食べられていたのはその他、熊、狼、狐、狸、カワウソなどである。平安期の肉食禁止も緩やかなものだったらしい。もともとの肉食禁忌は僧侶に始まり、貴族、庶民へとその裾野は広がっていった。

時代は下って、江戸時代。江戸に獣肉をメニューに出す店が現れる。一号店として麹町の「山奥屋」(甲州屋という説もあり)といい、猪、鹿、兎を扱い、その鍋料理の味は評判になり、繁盛したという。また、「ももんじや」という店が江戸から有名であり、現在もその暖簾を守っている。

幕末期になると、豚も食べるようになる。その一方で学者らの肉食反対論と蘭学者の迷信にすぎないという主張がぶつかりあった。1867年、坂本龍馬が暗殺されたその年に、江戸に牛鍋屋が出現した。

そして、1871年(明治4年)、明治政府はフランス料理を宮中の正式料理に定め、翌年、明治天皇自らが肉を食した。「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」。牛鍋はまさに文明開化のシンボルのひとつとなった。(次回へつづく)

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