昭和村のからむし(2)

いよいよ、からむし織初体験である。以前、長野県の上田紬の大きく長い高機を体験したことがあるので、その高機はコンパクトに感じた。上田紬のときは、数少ないプロの方が織っている帯の途中から入れてもらったので、自分が織った場所が妙に透けてしまった。あとから解くとはいえ、気が引けた。あのときは弱かったのだな、という印象を思い出しつつ、力強く打ち付けたら、ガチガチになってしまった。帯とコースターは違うのです。

強く、弱く、を加減しながら織ると味がある布になる。カタン、コン、カタンカタン。しゃべりながら織ると、二本重ねて入れてしまった。織っているときには話しかけてはいけない。無心になる必要があるのだ。「決して見てはなりませぬ」、夕鶴の話はこんなところからきているのではないか。

植え付け、焼畑、施肥、垣つくり、刈り取り、浸水、皮はぎ、苧引き、苧績、手織り。栽培方法から糸つくり、機織の構造、みな女性たちの智慧の結晶である。からむしの繊維は実はアサ(大麻、ヘンプ)より長く、頑丈だといわれるが、乾燥には弱い。だから、収穫も終わった湿度の高い雪の中の機織は格好の季節となる。自然と完全に一致した作業でよくできたものである。

シャリ感、光沢のあるその布をながめると、昭和村で出会った暖かい人々を思い出す。からむし工芸博物館に飾ってあるおじいさん、おばあさんをはじめとする昭和村の人々のポートレイトは気持ちがやわらいでほーっと胸の芯が暖かくなる笑顔であった。カスミ草が風に揺れて微笑んでいるような、そんな自然体の表情なのである。厳しい自然と向き合いつつ、沢山の経験を紡いできた人々である。布が体温を持って、そして尊く思えてくる。モノに対する姿勢も正したくなる。この人々の智慧と経験の上に出来上がってきた宝なのだから。

そのからむし工芸博物館でたくさんの本に出会った。なかでも『奥会津 神々との物語』奥会津書房が目にも美しくすばらしい。70代、80代の方の語りも笑顔の写真入で掲載されている。

「沢のちっと入ったとこさ古木があって、それをまつり木どして決めである。ブナの大木だな。山さ入る時は必ず、「一日安泰に働けますように」って、手ぇ合わせで、帰って来っと、「無事に帰ってこれました」って、手ぇ合わせるんだ。」吉田貞夫さん

このブログでもしばしば取り上げている人と木との密接な関係である。時に自然に頼り、守られ、感謝を忘れない。ブナは雷も避ける精霊の宿る木と言われている。私が昭和村に宿泊していたたそがれ時、空を山吹色に染めた激しい雷雨も、そのブナの木を避けたことであろう。

上記の本の中で最も印象的なのが菅家博昭さんの「見えないものを見る意志」の冴えある文章である。奥会津の人と自然との関わり方が他郷の者でも理解できるような気がしてくる。帰宅後、偶然にも同じニフティーのココログに菅家氏のブログを発見して驚いた次第である。

自然に感謝しつつ真摯に生きる奥会津の魅力は、降り積もる白い雪より深い。

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昭和村のからむし(1)

福島県は奥会津の昭和村を体験してきた。知る人ぞ知る、自然と人が調和しながら生活している場である。友人や先輩の親戚が昭和村出身ということで、間接的にその村の話は耳にしていた。そうでもなければなかなか出会えないプレミアムの村である。

「いいとこだよ~一度行ってみてね。帰りたくなくなるよ。」

そして、からむしを栽培しているところ、という情報から、いつか行ってみたい、と常々思っていた。また、昭和村を紹介する地方の情報誌を偶然眼にすることがあり、この夏こそ体験しようと決めたのである。

会津田島から山を超え、分け入ったその村は落ち着いた閑静な村里であった。ほとんどがかやぶき屋根からトタンになってしまっているが、みずみずしい田んぼの緑とかやぶき屋根型の赤い屋根は実に絵になる風景である。カエルが田んぼからぴょんと姿をあらわす。

今回の旅のメインは「からむし織」体験である。村の中心にある、からむし織の里にはりっぱなからむし工芸博物館、織姫交流館、郷土食伝承館苧麻庵が建っている。焼け付くように暑い外気の中、建物の傍らに世界中の苧麻が元気良く育っていた。ちなみに、「野からむし」はどこにでも生えているというから、誰でもどこかでお目にかかっているはずである。

葉っぱ自体はシソに似ているが、背は2メートルにもなるという。からむしはイラクサ科の宿根草で、苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)と呼ばれる。いわゆる麻であるが、麻とは植物の茎の皮や葉脈からとれる繊維の総称であって、世界には多くの麻の種類がある。昭和村では麻とはおおあさ(大麻、ヘンプ)を指し、昔からからむしと共に植えつけていた。

昔はからむしの刈り取りをはじめとする一連の作業が終わると、今度はアサ(大麻)の刈り取りが始まる。背の高いアサはからむしの風除けになる。宿根草のからむしは5年もすると根が弱ってしまうのでその場にはアサを植えて土壌改良をする。このようにからむしとアサは不即不離の関係にあった。

ところが、戦後の大麻取締法の関係から次第に村でのアサ栽培は減っていった。もし、アサを盗まれたら、栽培者の責任も追及されるからである。現在、アサの栽培は消滅してしまっている。そのあとにはカスミ草が美しく咲き誇り、昭和村といえば日本におけるカスミ草生産第一位となっている。

昭和村は本州唯一のからむし生産地で、伝統的な方法によって高品質な原麻が生み出され、生産と苧引きの技術が国選指定保存技術に、からむし織は福島県指定重要無形文化財として認定されている。

実は小千谷縮と越後上布の原料となっていることは意外と知られていない。近代以降、分業化され、からむしは小千谷ではしぼ(皺)をつける技術が発達したため、さらに夏の肌触り感がよくなった。以前、すてきなブラウス、と値札をみるとふつうの製品が10数枚買える値段で驚いたら、小千谷縮であった。高級品である。

昭和村のからむし織はもっと素朴である。染色していないものは小麦色の地に薄茶、時に緑色などが入り、ナチュラルで目に優しい。製品は幻の繊維、織物と言われるくらいだから、オートクチュールを買うくらいの覚悟はいる。(昭和村のからむし(2)につづく)

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